火打ち石 野宿の匠 火打石 赤鉄石英 Y00230

野宿の匠 火打石 赤鉄石英 Y00230
◆内容量◆約200g(5-10個前後、大小サイズ混合)
火打石はいわゆるフリント(火打石)でなければ火花が出ないと思われていますが、
火打金に打撃を加えたとき鉄鋼の粒子を削ぎ取れる程度の硬度(6.5-7)の石であれば火打石になります。
特に火花の出る石としては、以下となります。
・石英
・瑪瑙(めのう)
・水晶
・サヌカイト
・チャートなどなど<
これらの硬い石を用いても石が丸いと打撃しても鉄が削れないため、ある程度大き目の角ばった荒々しい石が適しています。
一方、火山岩系の砂岩や安山岩などは軟らかく丸いため火打石には適していません。
また特殊な場所にしかない瑪瑙(めのう)や水晶、黒曜石以外の火打石は、古生層から流れ下る河川敷で拾うことが出来ます。
(出典:吉井郷土資料館「吉井本家の火打金 -上州吉井宿の特産品-」)

・商品説明 【重要必読】商品に関する詳細な注意事項はこちら

赤鉄石英(RED JUSPER)とは

赤玉石(あかだまいし)もしくは赤珠(あかだま)とも呼ばれています。
不純な玉髄質の塊状石英に多量の酸化鉄が含まれて血赤色を呈するもので、堆積岩の一種です。
主成分は二酸化ケイ素(SiO2、石英)で、縄文時代には矢じりとして使われていた赤くて光沢のある石です。

分子(Sio2)の配列がランダムだと『チャート』となり、分子配列が整っていると『石英』となります。
非常に硬い岩石で、層状をなすことが多い石でもあります。

石英の仲間のうち、半透明のものを『玉髄』、不透明のものを『ジャスパー(へきぎょく、jasper=ジャスパー)』と区別されています。
ジャスパーは多量の酸化鉄を含み、ジャスパーのうち暗緑色のものを『碧玉』、赤色や黄色などのものを『鉄石英』と呼びます。

古墳時代以後鉄石英は勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)の石として珍重され、赤玉とも呼ばれていました。
とくに佐渡で採れるものは「佐渡の赤玉」として有名でした。

 

江戸時代の火打石

江戸時代の書物[『雲根志(うんこんし)』に「火打石に名産多し、国々諸山或は大河等にあり、色形一ならず」とあることからも、 日本各地で火打石が産出されていたことがわかっています。
なかでも常陸国(茨城県)山方町(やまがたまち)の火打石は有名で、江戸へ かなりの量が流通していたことが各種文献や出土品から判明しています。
※山方町の火打石は瑪瑙(めのう)だったようです。

『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』の中で火打石は「王交石(ひうちいし)」と記され、石質については「賢硬純白透明なり」と表現 されています。
山形町の火打石は、昭和42年まで東京の火打金商店へ卸されていたといわれています。

群馬県内では「 下仁田町御場山(おんばやま)」が江戸時代の産出地として知られていました。
※石材は玉髄(ぎょくずい)だったようです。
江戸時代の終わり頃に30日間の「火打石採掘願い」が御場山に出されましたが、脈が薄く流通する程の量がまかなえないため、 結局切り出されませんでした。

野宿の匠 瑪瑙(メノウ)チャート 石英 黒曜石 玉瑞 吉井本家 火打石 火打ち金 わたらせ 下仁田 昇仙峡

写真の赤鉄石英は、秩父古生層の最北端に当たる群馬県下仁田町の奥栗山渓谷で採取されたもので、下仁田町では町をあげてジオパークを全面に出しています。
複雑に入り組んだ地層は、ジュラ紀・白亜紀のものから火山の噴火による火成岩などがみごとに入り組んだ地層を為している。
ほたる山公園(下仁田町)の脇を走る栗山渓谷と「荒船湖」とも呼ばれているダム湖「道平川」上流では、特に古生層がむき出しになっています。

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このような案内図ありますが、人が入った形跡はほとんどなく、倒木だらけです。

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広い道から(2m幅)から獣道のような沢沿いの道に入る道標

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このルートで入りました。この沢をあと1.5kmくらい詰めれば、富岡市の最高峰「稲含山」に藪漕ぎできます。

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蝮の生息地

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したばかり見て歩くと、倒木に頭を思いっきり打ちつけます。

吉井宿狂歌かるた : し

下を見て

沢に入ける 栗山の

倒木気付かず

頭打ちつけ



・詳細画像 / スペック
野宿の匠シリーズは、江戸時代から昭和初期までの約400年間、庶民の間で続いた日本古来の伝統的着火方法を可能にします。
日本古来の着火方法は『火打石で火打金を削る』方法のため、『火打金でマグネシウムを削る』西洋の着火方法とは全く逆になります。
そしてたった一粒の火花が火口に落ちれば、火種ができます。

※西洋の着火方法で火打石とされるものはマグネシウムでつくられているものが多いですが、マグネシウムは摩耗しやすいため比較的減りが早いようです。

◆火打石の選び方◆

火打石はいわゆるフリント(火打石)でなければ火花が出ないと思われていますが、 火打金に打撃を加えたとき鉄鋼の粒子を削ぎ取れる程度の硬度(6.5-7)の石であれば火打石になります。
特に火花の出る石としては、以下となります。

・石英
・瑪瑙(めのう)
・水晶
・サヌカイト
・チャートなどなど

これらの硬い石を用いても石が丸いと打撃しても鉄が削れないため、ある程度大き目の角ばった荒々しい 石が適しています。

一方、火山岩系の砂岩や安山岩などは軟らかく丸いため火打石には適していません。
また特殊な場所にしかない瑪瑙(めのう)や水晶、黒曜石以外の火打石は、古生層から流れ下る河川敷で拾うことが出来ます。
(出典:吉井郷土資料館「吉井本家の火打金 -上州吉井宿の特産品-」)
 

火花から火種へ

火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種で、蒸し炭とも呼ばれます。
焚火などで燃えた木は「オキ」になり、そのまま空気中において置くと灰になります。
オキを蓋付きの容器に入れ酸素不足の状態をつくると炭素の状態になり、これが蒸し炭です。

火口はどんな 植物からでもつくれますが、植物によって火の付き方が異なるため、火の付きやすい種類の植物を選ぶ必要があります。
火打金が使用されていた時代は、蒲(ガマ)の穂、コケ、モグサ、スギ、ブナなどの朽木から火口をつく っていました。

これらを火口として使用できる状態にするには、ひと工夫必要です。

ガマの穂これは蒲の穂の写真で、ガマは湿地帯に生える植物です。
火花の付きを良くす るために蒲の穂などの火口には硝酸を入れて加工します。
また火口が湿っていると火種が出来ないため、乾燥に 大変気を使う必要があります。
硝酸カリウムは爆薬の原料となるため、薬局で購入することはできません。
朽木は蒸し炭にする前に十分に乾燥させる必要があります。

火種から炎へ

付け木(つけぎ)とはヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄(いおう)」を付けたもので、引火すると 青い炎が燃え出します。
江戸時代には付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。

下の写真は群馬県高崎市石原町「あかりの資料館」にある昭和初期に実際に使われていた付け木です。
付け木
 
 

※火のお取り扱いに関する注意事項※

火花が移って着火したら、火口は必ず全て燃やし切ってください。
「一部しか燃えていないから」といって火の付いた部分を消して、残りを元の火口入れに戻して再利用することは絶対におやめください。
完全に消えてない場合が多く、未使用の火口と混ぜると、それが火種となって再燃焼することがあります。
着火した火口は必ず燃やし切り、水を掛けて完全に消火したことを確認してから廃棄してください。
火口に着火しない場合は、火口が水分を吸収している可能性があります。
天日干しをして乾燥剤を入れて保管してください。

■眼鏡
火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。
普段眼鏡をかけない方は、100円均一ショップなどで販売されているサングラスや花粉対策用の眼鏡などを着用してください。
火打金から飛んだ火花が顔に当たることはよくあり、目に入った場合には失明の可能性もあります。

■手袋
火打石と火打金で指を挟んだり切ったりする可能性があるため、手袋の着用をおすすめします。

■服装
火花が飛んだ時に軽いやけどをする可能性があるため、長袖・長ズボンの着用をおすすめします。

■対象年齢
18歳以上となります。
それ以下のお子様については、大人が同伴するか教育指導者の指導に従ってご利用ください。

◆内容量◆約140g(5〜10個前後、大小サイズ混合)


・ブランドライセンス情報 (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら)

この商品は、山口工業「あかりの博物館」指出朋一館長、 群馬県キャンプ協会一級キャンプディレクター丸山博先生、伊勢公一商店牧内和正社長、中嶋義明氏など多くの方々のご支援・ご指導のもとにMIXXが開発したオリジナル商品です。
P,R=m