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江戸時代は火打金職人が手造りで一つひとつ「たたき」、「なまし」てつくっていましたが、今は火打金職人はいないためプレスで切り抜き加工をしています。
下の写真は伊勢公一商店のたたらの釜です。
・詳細画像 / スペック
江戸時代の一般庶民の家庭では、火打金を火起こしの道具として使う方法と「切り火」として使う方法がありました。
切り火
「おまえさん、気をつけて行ってらっしゃい。」
銭形平次などの時代劇の台詞にもあるように、火には「厄除け」やお清めの力があるという民族信仰があり、火花を相手に向けてあげることで邪を払うとされています。
古来からの慣習を重んじる歌舞伎や相撲の世界では、現在でも切り火を行い勝負前のお清めや無事安泰を祈ってます。
切り火の方法は火起こしとは逆の持ち方になり、利き手に火打石を、もう一方の手に火打金を持ち、相手の肩あたりに火花を落してあげます。
「登録商標吉井本家請合」は現在伊勢公一商店が作っているもので、中野家で代々使われてきた焼印が見られます。
下は経年変化加工を施したものです。
5代目中野屋孫三郎兼重が亡くなった後は、その妻「わき」が後を継ぎました。
わきがつくった火打金には「女作」がつき、長男で7代目「孫三郎」 が手伝ったものには「一」がつき「吉井本家・女作一」になったと考えられており、「一」はたった一人の長男「孫三郎」を指すのではないかと推測されています。
火打金の出現
今から約2000年前の弥生時代に大陸から鉄の製品が伝わってきました。
発掘出土資料から、火打金の使用は古墳時代後期(7世紀頃)に発見されています。
群馬県高崎市吉井町で火打金が確実に使用され始めたのは、平安時代(9世紀)に入ってからです。
江戸時代以降の火打金
江戸時代に入ると、機能別に火打金の種類が増加します。
一つはカスガイ形と呼ばれ、木板に鉄の突出した部分を打ちつけた火打金です。
これは蒸し炭(消し炭)の入る火打箱に入れ一般家庭で使用されました。
上の写真は「あかりの資料館」の実物です。
他に短冊形と呼ばれる柄の付かない火打金が出現し、用途に応じて大中小があります。
また山型には三角の裾部を細くねじり上げ頂部で結んだネジリ形と呼ばれるタイプが新たに出現します。
短冊形やネジリ形は2〜3cmの小型品が多く、 旅人の携帯用火打金として使用されていました。
下の写真は200年前の吉井本家のカスガイ型火打金の鍛造での復刻版。
火打金には鏨(たがね)で「本吉井」の文字が刻まれています。
江戸時代の火打金にはカスガイの柄部に焼印や鋼部に鏨銘(たがねめい)を入れたものが多く、生産地を特定できます。
中でも「上州吉井」の銘が圧倒的に多く、吉井町が火打金の特産地であったことが確認できます。
吉井宿と火打金
吉井町の中央を東西に走行する国道254号線は別名「姫街道(ひめかいどう)」と呼ばれ、江戸時代には埼玉県本庄から中仙道と分かれる脇往還(わきおうかん=裏街道) として栄えました。
取締りの厳しい中仙道の碓氷峠の関所を避け信州へ向かう旅人や商人、善光寺詣りに行く一般の人々に多く利用されました。
姫街道を利用する人々が「吉井宿」で道中土産として「火打金」を買い求めました。
吉井宿の火打金は『西の明珍(京都)、東の吉井』と江戸で評判となり、吉井宿は全国にその名を誇っていました。
下の写真は「あかりの資料館」にある明珍(京都)のカスガイ型火打金です。
なお吉井の火打金は、江戸時代初頭に武田信玄の配下の子孫「近江守助直」という刀鍛冶人が火打鎌を作ったことが始まりだと言われています。
その流れを受け継ぐものが町内に多くうまれ、福島家、岡田家、横田家以外にも火打金職人や鍛冶職人、鍬柄職人らが数十人いたことがわかっています。
特に中野屋一族の製品はブランド品で、全国各地で人気を博しました。
中野屋一族の火打金の鋼には「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作一」などと刻まれ、木柄の部分に 「吉井本家請合」などの焼印をする特徴がありました。
しかし明治時代に入るとマッチの国産化により火打金の消費が落ち込み、明治30年頃を境に製造が中止されました。
キャンプ愛好家、とりわけサバイバルキャンプやソロキャンパーの間で火打金による火起こしが増えています。
しかし現在は「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法が主流で、LIGHT MY FIREのファイヤースターターキットなど海外仕様の火打金が使われています。
西洋の火打石となるものはマグネシウムでつくられており、ナイフでマグネシウムを打撃することでマグネシウムから大量の火花を飛ばします。
野宿の匠シリーズは、江戸時代から昭和初期までの約400年間、庶民の間で続いた日本古来の伝統的着火方法を可能にします。
日本古来の着火方法は『火打石で火打金を削る』方法のため、「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法とは全く逆になります。
そしてたった一粒の火花が火口に落ちれば、火種ができます。
火花から火種へ
火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種で、蒸し炭とも呼ばれます。
火口はどんな 植物からでもつくれますが、植物によって火の付き方が異なるため火の付きやすい種類の植物を選ぶ必要があり、蒲(ガマ)の穂やコケ、モグサ、スギ、ブナなどの朽木から火口はつくられていました。
火花の付きを良くす るために蒲の穂などの火口には硝酸を入れて加工します。
小便の結晶には硝酸カリウムが含まれているため、江戸時代には厠の壁に張り付いた小便の結晶と墨汁を混ぜて火口をつくっていました。
火種から炎へ
火打金が使用されていた時代は、火種を炎に変えるために『付け木(つけぎ)』を使用していました。
付け木とはヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄(いおう)」を付けたもので、引火すると青い炎が燃え出します。
江戸時代には付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。
■眼鏡
火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。
火打金から飛んだ火花が顔に当たることはよくあり、目に入った場合には失明の可能性もあります。
■手袋
火打石と火打金で指を挟んだり切ったりする可能性があるため、手袋の着用をおすすめします。
■服装
火花が飛んだ時に軽いやけどをする可能性があるため、長袖・長ズボンの着用をおすすめします。
■対象年齢
18歳以上となります。
それ以下のお子様については、大人が同伴するか教育指導者の指導に従ってご利用ください。
・ブランドライセンス情報 (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら)
この商品は、山口工業「あかりの博物館」指出朋一館長、 群馬県キャンプ協会一級キャンプディレクター丸山博先生、伊勢公一商店牧内和正社長、中嶋義明氏など多くの方々のご支援・ご指導のもとにMIXXが販売する商品です。
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