日本の色々な県の職人がつくる食器やお香立て、銅・錫・鉄器といった金属製品から郷土のおもちゃまで、さまざまな手づくり品を取り扱っております。ぜひゆっくりご覧ください。
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岐阜県の神社庁ご用達の窯元、蔵珍窯(ぞうほうがま)のお茶わんです。
ベンガラの赤と青い線のコントラストが印象的な、小さい梅のつぼみを描いたうつわ。
・さまざまな絵付け - 美濃焼の自由さぽってりしたカブの絵から墨絵のようなヒョウタン、ちいさくデフォルメされた梅の実までさまざまな絵付けのある蔵珍のうつわ。
美濃焼というものは、他の焼き物産地である九谷・京焼・有田焼・信楽・備前などと多少異なり、1つの様式(スタイル)を持っていません。
美濃(東美濃地方)で焼かれた器というのが一番わかりやすい表現でしょうか。
そのためか、「〇〇焼きの絵付けはこうでないと!」「こんなの〇〇焼きじゃないよ」といった堅苦しさとは縁がなく、思い付き、つくり、使ってみて、良いものが残る……といった自然なかたちで様々なうつわが生まれてゆきます。
・1000日をかけてつくる「鉱石の赤」蔵珍窯は赤を大切に育てています。
原料となる天然の鉱石のかたまりを砕き、焼成し、水に沈めてよりわけ、その上澄みにあるほんの細かい粒子を、さらに細かく粉末にしたものです。
そこから、すればするほど美しい赤になってゆく性質のゆえ、およそ1000日という時をかけて赤絵の具に育てるのです。
そしてこの「赤」は、漆器が育っていくように、お客様の手により丁寧にご使用していただくにつれ、より鮮やかな色に育っていきます。
当窯で使用している紅葉印の弁柄は、いまでは生産されていないため市場に出回っておりません。
永い時間色褪せない鮮やかな赤さから、神社の鳥居にも用いられたほどなのですが……。
といいますのも、昭和初期、弁柄の産地であった岡山県吹屋の片山家でつくられていたもので、当時からすばらしい赤と有名だったとはいえ、千日もかかってしまうという生産効率の悪さ……。
そうして時代の流れのなかで姿を消し、いつしか紅葉印は「まぼろしの弁柄」となってしまったのでした。
しかし平成15年5月、旧家取り壊しの際、土蔵からその紅葉印弁柄が大量に発見され、縁あって、我共にそのすべてが託されたのでした。
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お確かめ頂きたいこととお願い・銀彩や金彩を施したものにはそれぞれ純銀、純金を使用しておりますため、金属製品と同様、決して電子レンジで温めないようお願い致します。
・商品の仕様や価格などは、予告なく変更することがございます。
・すべての品は手作業で一つずつ丁寧に製作しておりますので、サイズや容量などの誤差や、釉薬の小さな気泡が残る場合がございますが、どうかご容赦頂きますようお願い申し上げます。
■主宰者 -
社家12代 小泉蔵珍・魯山人(ろさんじん)へのあこがれ私が魯山人にひかれたのは、彼が古陶器の目利きに優れており、料理にかけては第一人者であった事にはじまります。
自ら厨房に立ち料理を振舞う一方、使用する食器を自ら創作していたそうです。
そのため作品のほとんどが食器であり、彼の器によって料理は引き立ち、器はまた料理によって彩られ……。
彼が乾山に魅せられ創作に取り入れたように、私もまた魯山人の作品を創作に取り入れて励んでいます。
そうして長年のあいだに、ポップさと昔ながらの絵付けの融合、大人向けの柄で小ぶりなもの、子供向けの柄には転がりにくい工夫をと、ありとあらゆる形、柄のものができあがりました。
ひとつひとつ手でこね、絵付けをすることから生まれてきた作品性と、料理やごはんを盛ってこそ映えるうつわとしての実用性。
これからも料理を活かすための器づくりを目指して精進していきたいと思っています。
■
プロフィール江戸時代より続く社家(神官)の12代目として多治見に生まれ、岐阜県立陶磁器試験場工芸科研修生課程を修了し、幸兵衛窯にて修業。
5代目幸兵衛、加藤卓男(人間国宝)両先生に師事。
・陶磁器意匠展第1席 知事賞受賞
・昭和45年 現在地に蔵珍窯開窯
・昭和46年 陶磁器デザイン総合展 最高賞受賞
・昭和63年 工房「集楽窓」完成
・工房内に太平神社(陶の神と火の神を祀る)造営
・平成2年 熱海にあるMOA美術館より黄金天目茶碗と、重要文化財・仁清作金銀菱色絵重茶碗の本歌写しの制作を依頼され完成。東京・根津美術館の好意により、乾山絵替土器皿の本歌写しをする
・平成3年 名古屋MOAギャラリーにて個展
・平成5年 下呂・水明館・臨川閣「弥生の間」にて個展
・平成6年 岐阜県神社庁御用窯に指定される
・平成9年 子ども美術館を工房内に開館
・平成15年 工房内にある太平神社の社標・神門・玉垣を造営
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