幕末維新期、かつての天才たちの後継者は育たず、悪しき形式主義におちいった日本の伝統美術は、危機的状況にあった。すぐれた国際感覚と美意識の持主岡倉天心が、救世主として現れ、“新しい日本画”を創造する必要性を説き、東京美術学校を創立した。その天心が、学校長の職をやめ、日本美術院を開いたのが明治31年(1898)。今年が100年目にあたる。これを記念して3月末に東京国立博物館で「日本美術院の100年」なる一大企画が開かれる。天心とともに野に下った横山大観、それに下村観山、菱田春草らは新日本画創造のため、西洋画法を大胆にとり入れた実験を行い、意欲作を次々に描いて、近代日本画史の上に確固とした礎を築いていった。大正2年(1913)天心没後、今村紫紅、小杉未醒、安田靫彦らの若手作家が加わり、美術院の再興が図られた。翌3年に再興第一回展が開かれ、小林古径、前田青邨、速水御舟などを同人に加え、文展をしのいで新日本画をつくりあげていく。「落選の神様」といわれた片岡球子や幼児の火傷で不自由になった指のため、合掌する両手で筆をはさみ描く中村貞以の「心を絵筆に伝える合掌描法」などのエピソードをコラムに加え、日・・・
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