(八月◇特売品)紫野 総見院 山岸久祐(やまぎし・きゅうゆう)筆 「春入千林處々鶯」瀧本松花堂表装 一行軸USED〈送料込〉【中古】

★ユーズド商品です。
少し巻き癖が見られますが、きれいな状態で保管されています。
詳しくは拡大画像でご確認下さいませ。
☆寸法
掛軸時の長さ176.2cm 幅35.7cm 紙幅30.6cm 共箱・紙箱
※裂地の色が魅力的で、きれいな字の一服です 。
軸全体の長さは今どきの標準的なものです。
◆春入千林處々鶯(はるはせんりんにいるしょしょのうぐいす)
『禅林句集』に「春入千林處々花 秋沈満水家々月」
春にはどこの林や野にも草木が芽吹き花が咲き、秋にはどこの家にも月は輝き、どこの水にも月は宿る。このように、目の前の森羅万象すべてに平等に仏の世界(法性)が行き渡り、人という人みな仏性のない人はいない、とのこと。
この前半句を千宗旦が「花」を「鶯」に置き換え 「春入千林處々鴬」 (春は千林に入る処々の鴬) としたものがあり、表千家では初釜の床に掛けられる慣わしという。
■紫野 総見院
総見院は、本能寺の変で亡くなった織田信長の菩提を弔うため豊臣秀吉が建立した寺。
天正10年(1582)、秀吉が主君信長の冥福を祈るために古渓宗陳(こけいそうちん)和尚を開祖として創建。
信長の葬儀はここで盛大に行なわれた。墓地には、信長以下一族の墓が建ち並ぶ。
表門と周囲の土塀は、創建当時のものとか。土塀は、塀の中に塀があるという珍しい二重構造の塀で「親子塀」と説明されていた。
総見院には三つの茶室がある。
寿安席は八畳の広間があり、大正の初め頃の山口玄洞(1863-1937)の建立。
近年の作では、表千家の即中斎好みの香雲軒(こうせつけん)。そして、(ほうあん)の三つ。
また、豊臣秀吉が催した「大徳寺大茶会」は、ここ総見院であったとされている。
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