小中社会科の授業づくり
澤井陽介 編著/唐木清志 編著/272ページ
小学校教師と中学校教師のコラボレーション義務教育段階7年間を未来志向で俯瞰する授業改善の基礎・基本小学校の先生は全科担当で中学校の先生とは立場が異なります。しかし、いったん社会科の授業づくりや教材研究の話になると、小学校の先生と中学校の先生が同じように熱い議論を交わす場面を幾度となく見てきました。本書は、こうした場面に触発され、校種が異なっても同じ「社会科」の魅力に引き寄せられた先生方が、力を合わせて社会科を活性化させたり発展させたりすること、そのきっかけの一つとなってくれることを願って上梓しました。一方で、小学校社会科と中学校社会科について全く同じ土俵で語ることには困難な面があります。それが、小・中学校の心理的な距離となっていることも事実です。そこで本書では、まずは小学校社会科と中学校社会科のそれぞれの特質を踏まえ、違いを確認したうえで、共存・共栄する方向を模索しています。小学校の先生方は小学校だけでなく中学校の先生方の原稿部分を読んでみてください。中学校の先生方も小学校の先生方の原稿部分を読んでみてください。そのうえで、互いの経験を基に「もっとこうしたらどうか」などと改善案を考えてみてください。このように、本書は何か定まった考え方を論理的に伝えたり、巧みな指導法のノウハウを具体的に伝えたりする本ではありません。まずは、小・中学校の先生方が少しずつでも、お互いの「考え方」「取り組み方」「大切にしていること」などを知り合い、理解し合うことからはじめ、今後の方向を一緒に考えていただくことを願って作成しています。さて、ここでは、第5章「小・中学校社会科が共に発展するための鍵」から、2つほど紹介したいと思います。指導方法の工夫・改善学習指導要領は、法令上「教育課程の目標と内容の基準」に位置付けられ、具体的な指導方法には触れず、各学校、各教員が工夫すべきこととしてきました。その動きに大きな変化が見られたのは、まず平成20年告示の学習指導要領です。このときの改訂では「言語活動の充実」というテーマが盛り込まれました。そしてさらに、平成29年告示の学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」というテーマが盛り込まれ、それを単元のまとまりを通して実現することが求められました。「単元の授業づくり」というスパンで指導方法の工夫・改善が規定されたわけです。したがって、小・中学校の社会科が共に授業改善を目指す方向は、「単元を通した」「主体的・対話的で深い学び」の実現ということになります。こうしたメッセージは、校種を越え、教科の枠組みをも越えて、共に授業改善を目指す指標として効果的なものであると受け止めます。また、令和3年1月に中央教育審議会から答申された「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」では、「個別最適な学び」という文言で「指導の個別化」と「学習の個性化」が求められています。そのための具体策として、「ICT環境の活用」や「一人一人に応じた学習活動や学習課題に取り組む機会の提供」が示されました。答申では、「子供が自らの学習の状況を把握し、主体的に学習を調整することができるよう促して」「粘り強く学習に取り組む態度等を育成すること」などが強く求められています。学習評価の観点の一つである「主体的に学習に取り組む態度」と同様の趣旨であると受け止めることができます。こうした動きを見ていると、これからの指導方法の工夫・改善の方向の一つは、「ICTを効果的に活用」しながら、「子供一人一人に最適な学び」を「子供が自ら調整しながら」進めることができるよう「学習課題や学習活動を工夫」することではないかと考えることができそうです。さて、小学校社会科、中学校社会科のそれぞれで、こうした方向をどの程度受け止め、授業改善につなげていけるでしょうか。少なくとも教師による一斉型の指導のみで授業を進めることでは、改善の方向につながりづらいことは容易に想像できます。GIGAスクール構想を視野に入れると、もはや子供一人一人のタブレット端末やデジタル教科書などを前提に考えることが必要になるでしょう。また、「学習問題や本時のめあて」(小学校)や「単元や本時の学習課題」(中学校)の内容や設定の仕方、学習活動のあり方についても、これまで以上の工夫が求められることになりそうです。さらに、同答申のもう一つのメッセージとして「協働的な学び」にも着目することが必要です。具体的には、「子供同士で、あるいは多様な他者と協働しながら、他者を価値ある存在として尊重し、様々な社会的な変化を乗り越え、持続可能な社会の創り手となることができるよう」にし、「地域の構成員の一人や主権者としての意識を育成」することを求めています。こちらは、従来から社会科が目指している方向と重なります。ただし、小・中学校社会科における具体策としてはどうでしょう。「多様な他者と協働」して学ぶ活動や、そのための内容・課題、教材の「持続可能性」への着目、そして何よりも社会科らしい学習活動である討論や議論の充実などが、今後の小・中学校双方の社会科の発展につながるのではないでしょうか。(澤井 陽介)知識の構造化から問いの構造化へ1 「知識の構造化」の功罪知識の構造化にはさまざまな考え方があります。ここでは、知識を「用語や語句」「具体的知識」「概念的知識」の三つに分類し、相互の関連性を図るという考え方を採用します(北俊夫著『社会科の学力をつくる知識の構造図』明治図書出版、2011年)。社会科授業では、数多くの用語や語句が使用されます。それらは固有名詞的なものがほとんどです。1時間や1単元内であれば、児童・生徒が考察を深めるために様々に活用することができますが、その他の学習で役立てられることはあまりありません。具体的知識は、1時間の授業ごとに習得させる知識です。社会科授業の悪しき伝統として、用語や語句にこだわりすぎて「暗記社会科」になるか、単元を意識するあまり一時間一時間の授業が疎かになることがあります。具体的知識を文章で表現して、1時間で確実に身に付けさせるべき事項を明確にしておくことが必要です。概念的知識は、単元全体を通して習得させる知識です。「中心概念」と言い換えることもできます。数多くの用語や語句、複数の具体的知識を総合させた先に、概念的知識が成立します。社会科で究極的に大切にされるべきは、この概念的知識です。一般には、単元の終末で児童・生徒にこれを確認させることになります。つまり、「用語や語句」→「具体的知識」→「概念的知識」といったように、三つの知識をつなぎ合わせ、積み重ねることで、知識の構造化が完成します。改訂学習指導要領では、「単元などの内容や時間のまとまり」を意識して、社会科授業を進めることが強調されていますが、この「まとまり」をどうつくるかの段階で、知識の構造化の考え方と具体的な方法は大いに役立つにちがいありません。小学校では社会科を苦手とする教員が多く、また、最近では若い教員が増加しています。そのような教員に対して、社会科授業のあり方を分かりやすく伝えるために、知識の構造化は役立つのかもしれません。一方で、だからこそ留意すべき面もあると考えられます。知識に過度に傾注して単元を構想することで、教師の構想する社会科授業の枠組みに、児童・生徒を当てはめるような発想が生まれてしまうことがあるため、知識の構造化は、教師のためにあるということも確認しておく必要があります。児童・生徒のための社会科授業づくりには、「問いの構造化」が求められるのです。2 問題(課題)解決的な学習を推進する「問いの構造化」社会科授業における問題(課題)解決的な学習は、今になって求められたわけではありません。中学校ではなかなか成立しないと言われますが、多くの教員はこれまでも努力を重ねてきました。小学校では定着しつつある問題解決的な学習においても、教員は試行錯誤を重ね、よりよいものをつくり上げようと工夫を凝らしてきました。しかし、依然として、問題(課題)解決的な学習には課題が残されています。その課題のなかで特に注目すべきだと思われるのは、形式主義的な問題(課題)解決的な学習の横行です。「問題(課題)把握」→「問題(課題)追究」→「問題(課題)解決」といった、問題(課題)解決の段階を単元、あるいは1時間の授業に明確に位置付け、それを児童・生徒に辿らせることに終始する社会科授業が少なからず存在します。段階を明確にすることは、決して間違った取組ではありません。ここで考えなければならないことは、段階のよし悪しではなく、その段階において「問い」が明確に位置付いているかどうかです。ここで、「問いの構造化」という考え方が必要とされます。その考え方や方法は、知識の構造化と同じです。まず「単元を貫く問い」を明確にします。小学校であれば、「学習問題」と呼ばれるものです。次いで、「1時間の問い」を明確にします。小学校であれば「学習のめあて」、中学校であれば「学習課題」と呼ばれるものです。1時間の問いの解決が繰り返されることで、単元の問いの解決がなされるという構造になります。なお、ここで言う「単元」には、注意が必要です。単元にも、大単元・中単元・小単元と、さまざまな大きさがあります。大単元のなかに複数の中単元があり、中単元の中に複数の小単元があると考えるのが一般的でしょう。各レベル(大きさ)の単元の問いは、相互に関連し合っています。たとえば、小単元の問いの解決がつながることで中単元の問いの解決になるということです。こうして、単元を入れ子状態にしていくことで、社会科の教育課程は完成されるのです。問いの構造化を図るうえで困難を抱えることが予想されるのは、小学校よりも中学校です。そもそも中学校では、一時間一時間の授業を大切にする発想は根付いてきましたが、単元を構想するという発想が希薄であったという印象を受けます。たとえば、公民的分野の政治単元を考えてみましょう。大単元「政治」の問いは何か。そのなかにある小単元「国の政治」と小単元「地方の政治」の問いは何か。それを明確にしたうえでの、1時間の問いです。この構造化が明確にならないと、主権者の育成は難しいでしょう。基本的な知識の習得さえ、十分なものにならないと考えます。社会的事象、そして、そこから発生する社会的課題に「問い」をもつことが大切です。私たちの身の回りには数多くの社会的課題がありますが、それに気付いていない児童・生徒はたくさんいます。それを自分事と捉えさせるためにも、問いは必要なのです。(唐木 清志)