| 商品について |
| 二重構造で中が空洞となった徳利となっております。 お酒と外気との間に空気の層ができるため、お酒の温度が逃げにくくなります。 |
| 素材 |
| 大堀相馬焼 |
| サイズ |
| 直径72mm×高さ155mm 容量2合(360cc) |
| お手入れ |
【1】ご使用前 高台(器の底)をご確認ください。 【2】ご使用後 カビや汚れが着いてしまった場合には、市販の漂白剤を薄めて浸けてみてください。 |
| ご注意 |
| こちらの製品は手作業で製造しているため、サイズ・形・色合いが多少異なる場合がございます。 予めご了承ください。 |

もともと福島県を中心に縁起物として買われていた大堀相馬焼ですが、2011年の震災の際、窯が震災の被害にあっただけではなく、陶器の命ともいうべき釉薬の原料を採っていた場所が原子力発電所の事故により立ち入りが禁止されてしまい、300年という相馬焼の歴史が終わるかもしれないところでした。
その後、福島県ハイテクプラザにより、震災以前に使っていたものと同様の発色をする釉薬が開発され、ひとまずは生産を再開することができました。
しかし、原材料とは別に大堀相馬焼の少し変わった生産体制も問題になりました。
大堀相馬焼では粘土から器を成型する“ろくろ師”と整形した器を焼き上げる“窯元”で分業されており、ろくろ師が各窯元を回る形で生産していました。そのため、「大堀相馬焼といえば青ひび模様の二重焼きで馬が描かれているもの」という他の焼き物より具体的な特徴を持っており、窯自体もろくろ師が回りやすいよう一地域に集中して展開していました。
しかし、震災後の避難により各窯は分散し、いくつかは閉業。相馬焼全体での生産力は大きく現象してしまいます。
その苦境を跳ね返すため、各窯元は粘土から器を整形する過程の一部を担当するなどろくろ師の負担を増やさない形での生産体制を作り上げていきました。
その過程で各窯でオリジナルの商品も多く生まれ"新しい大堀相馬焼"ともいえる姿になりました。

最近では珍しくない二重構造の器ですが、この形が考案されたのは明治維新のころ。
廃藩置県により、藩主からの保護がなくなってしまったため他の地域の焼き物と競争しなければいけなくなったことによって生まれた特徴だといわれています。まだホスピタリティという言葉もない時代に、既に使う人目線での商品開発をしていたことは驚きです。
※全ての大堀相馬焼の製品が二重焼ではありません。
当店では、商品名に「二重」の記載があるものが二重焼商品です。

“駆け駒”や“走り馬”、もしくはストレートに“左馬”と呼ばれることもある縁起のいい馬の絵ですが、実は焼き上げる窯元によって馬の絵はデザインが異なるのです。物産展や福島へのご旅行の際はそれぞれの違いを違いを楽しむのも面白いかもしれません。


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![]() 京月窯 |