児童文学の父であり、日本のアンデルセンと呼ばれる小川未明の童話「赤い船」、「殿さまの茶わん」ほか全49話を朗読で収録しています。 小川未明と聞いてピントくる人は少ないのではないでしょうか? 小川未明は数多くの作品を残していることから、「日本のアンデルセン」、日本児童文学の父」と称されています。生まれは1882年(明治15年)、新潟県高田(現上越市)。坪内逍遙などから学び、後に逍遥から「未明」の号を授かります。1961年(昭和36年)、享79歳で没。没後は上越市により新人発掘のコンクール、小川未明文学賞が創設されています。 小川未明の作品は明治~昭和にかけての当時の日本の生活、子ども達の暮らしなどが物語を通して感じることができ、日本の歩みを子どもたちに教えることができます。 そして、小川未明の作品の中には戦時中の背景が描かれているものあります。 今、語り継がれることの少ない戦時中の経験を物語でわかりやすく子どもたちに 伝えられます。物語の中には社会批判、人間の悪しき心が垣間見られ、善悪の判断がつかない子供たちへの正しい道筋となる作品もあります。美しい文章で語られる未明の世界をご堪能下さい。 4巻に収録 「赤い船」 貧しい家に生まれた露子は小学校で聞いたオルガンの音に魅了していました。先 生にオルガンはどこの国からきたのかと聞くと、広い太平洋の波を越えて船に乗ってきたのだと先生はいいました。それから、オルガンの音を聞くと海のかなたの外国を考えたのです。 やがて、露子が11歳のとき東京のある家に行くことになりました。その家は立派でオルガンのほかにピアノ、蓄音機などがありそれらの音を聞く度に遠い国からきたのだろうと考えていました。その家にはちょうど露子のお姉さんにあたる娘がいました。お姉さんがピアノを弾くと、露子は母、父、村の小学校のことなどを思い出して、涙が出るのでした。 初夏のある日のこと、露子はお姉さんと海辺へ遊びに行きました。沖には赤い筋の入った一そうの大きな汽船が通り過ぎるのが見えました。お姉さまは露子にあの船は幾日もかかって外国に行くのだと教えてくれました。露子はあの赤い船にはどんな人が乗ってなにをしているかと考えました。露子はどうしても赤い船の姿を忘れることができませんが、船は波の中に隠れて煙が一筋空に残っていくばかりです。 あくる日、露子は窓のそばで赤い船はいまごろどこを航海しているのかと考えていると、一羽のつばめが飛んできました。つばめは露子に太平洋の上を渡ってはるばる飛んできたと言います。露子が赤い船を見なかったかと聞きました。果たしてつばめは露子の気になっている赤い船を見たのでしょうか? 「殿さまの茶わん」 昔、ある国に遠い他国にまで名が響く有名な陶器師がいました。その国に入った旅人はみな陶器店に入り、花びんか、さらか、茶わんを買っていくのです。 ある日、身分の高いお役人が店に入り軽く薄手にできている茶碗を誉め、殿様の使う茶碗を造ってもらいたいと陶器店の主人に言いました。主人は軽い、薄いのがいいとお役人が言っていた、それに陶器はそういうものだと店のもの達に伝えました。 それから幾日かかかって殿様の茶わんができあがり、殿様に献上することとなりました。陶器は、軽い、薄手のものが良いのですと役人は殿様に茶碗を差し出しました。それから殿様の食膳にはその茶碗が供えられました。薄い茶碗は熱が伝わりやすく、熱い料理で手が焼けても我慢強い殿様は何も言いません。あえて家来が苦痛をあたえ、その苦痛を忘れてはならないという忠義の心からなのかなど考えるのですが、食事のたびに茶碗を見ると顔色が曇るのでした。 山国を旅行したとき、宿がなく殿様は百姓家に泊まりました。その家で出された茶碗は厚いので手が焼けることはありませんでした。殿様はこのとき軽く薄くても茶碗であることはかわりない、軽い薄手が上等なものとしてあるがためにそれを使わないといけないということに煩わしく思いました。この厚手茶碗を造った人間は、親切心があるから、使うものが熱い茶や汁を安心して食べることができるように厚くしているのだと思いました。 御殿に戻り、殿様は軽くて薄い茶碗を造った陶器師を呼びました。殿様は陶器師になんと申されるのでしょうか? <仕様> オーディオブックCD ■品番:9784775984154 ■JAN:9784775984154 ■発売元:でじじ発行/パンローリング発売 ■発売日:2017.01.21 |