清冽な味覚にして、体内の老廃物をのぞく美濃屋のところてんの干物は京で評判となり、日本の国にインゲン豆を持ち込んだことでも高名な万福寺の高僧隠元禅師の僧膳にのぼる栄に浴しました。
隠元禅師をして「仏家の食として清浄これに勝るものはない」と賞嘆され、禅師により寒天と命名されたと伝えられています。これが寒天のはじまりなのです。
この寒天のはじまりとなった、薩摩藩主を供する京の美濃屋という料亭、残念なことに詳しい資料は現存していませんが、美濃屋という屋号からして、美濃の国(いまの岐阜県)に縁が深かった人ではないかと想像がひろがります。
中山道美濃十六宿で参勤交代の大名をお迎えする本陣であった、わたしどもがいま寒天を扱っているのも、悠久の歳月をへだてた縁の不思議を感ぜずにはいられません。