●甘さギリギリ!?水分を抑えるための工夫
長谷川伸原作『瞼の母』の作中主人公・「番場の忠太郎」を題材に作られた忠太郎最中。
醒井の湧水を使って炊き上げられた餡は、糖度約65%とかなり甘い部類に入ります。
しかし口にしてみると意外なほどあっさりとしていて、小豆の粒感もしっかり楽しめます。
糖度をあげることで餡中の水分を極力減らし、最中の生地がふやけるのを防ぎました。通常よりも厚めに焼かれた生地は、パリパリと小気味良い音を立てて食べる楽しさをサポートしてくれます☆
●ちょっと豆知識・「最中」の由来
日本語の難しさを感じさせるこの「最中」のネーミング。日本人ですら「さいちゅう」と読んでしまったエピソードも後を断ちません。
一見まんじゅうのようなこのお菓子が「最中」と呼ばれるようになったのはいつからでしょうか?
●wikipediaにはこうありました。
最中の原型は、もち米の粉に水を入れてこねたものを蒸し、薄く延ばして円形に切りそろえたものを焼き、仕上げに砂糖をかけた、干菓子であるといわれている。
これを使って餡を挟んだ菓子が江戸時代に考案されたが、その後も餡を挟む方法に改良が加えられ、明治期以降に現在の形の皮が完成した。
皮の部分は、元が菓子だったことから特別に「皮種」と称されている。
この皮種で餡を挟んだ最中が、やがて全国的に広められていき、現在では各地で色々な種類の最中が銘菓として売り出されている。
さらにこう続きます。
拾遺和歌集(巻3・秋171)にある源順の歌を知っていた公家たちが、宮中で行われた月見の宴において白くて丸い餅菓子が出されたのを見て、会話の中で「もなかの月」という言葉が出たことから、そのまま菓子の名前として定着したという由来がある。
江戸時代に考案された最中の原型も、この話に基づいて生み出したといわれ、菓子の名前も話そのままに「最中の月」と命名されたが、後に円形でないものが出回り始めた後は、単に「最中」と称されるようになった。
寛弘三年(西暦1006)の頃に確立された名前のようで、その歴史なんと1000年以上。宮中で使われたということから、出自は大変厳かだったと考えられます。
1000年の時を経て今なお愛される最中。これからも形を変えることなく、みなさんのそばにあり続けるのではないでしょうか?
●大きめサイズの最中です
1つ1つがしっかりとした大きさなので、十分満足な食べ応えがあります。甘さもしつこいものではなく、生地もパリパリとしているので口のなかに残りにくいようになっています。
そしてなんといっても「番場の忠太郎」には欠かせない【三度笠】の焼き印が施されてあります。この忠太郎最中は、忠太郎地蔵建立を記念して作られました。
●米原の蓮花寺に佇む忠太郎地蔵
蓮華寺本堂横の小道を裏手にたどると、石段の上から「忠太郎地蔵尊」が、慈愛に満ちた表情けで立っています。
その石段の脇にある看板には、こう記されています。『昭和33年8月3日、文壇の長谷川伸先生が「南無帰命頂禮 親をたづぬる子には親を 子をたづぬる親には子を めぐり合わせ給え」と悲願をこめて建立された地蔵尊です。
このお地蔵さまを拝めて親子の縁はもとより、あらゆる縁が完全に結ばれて、家庭円満の楽しみを受けることが出来ます。それにはお互いが拝み合う素直な心が大切です。
それをこのお地蔵様は合掌せよとお示しになっているのです。』
●名水が流れる地蔵川沿いのお菓子屋さん
米原市醒井地区に昔からあるお菓子屋さん、「丁字屋」。創業から100年以上続いており、現在3代目となるご主人が継がれています。
お店では上菓子やパンなどの製造・販売のほか、地元の高校へ出張販売もしております。
お店の目の前を流れる地蔵川には「名水百選」にも選ばれた醒井の湧水が流れており、あんこを炊いたり製造に使われる水は全てこの湧水が使用されています。
また、食べ歩きもできる「梅花藻ソフトクリーム」やきれいな湧水で作った「水まんじゅう」などが、観光客のみなさんから人気を博しています。
●パリパリと音をたててお楽しみください。
最中のもち米は滋賀県産の羽二重餅を、小豆は北海道産を使用し、お店の前を流れる醒井の湧水を使用してふっくら炊き上げております。
餡の糖度を約65%にしており、水分がでにくく生地がパリッと食感を楽しんでいただけます。さらにサイズも大きめで、十分満足していただける大きさです。
8個入りと手土産にも丁度な箱入りですので、おやつに、お出かけの際に、ぜひ一度ご賞味ください。