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■DISC.1
第28回 『開戦前夜』
帝の考える公家支配のため、北畠親房・顕家親子が奥州ヘ出陣。そのころ足利尊氏は、鎌倉及び東国の治安維持を武家の手に委ねるよう帝に参内した。そこで廉子から「皇位後継者」の取引を持ちかけられる。疑問を抱く尊氏は幾度となく帝に意見を述べた。尊氏の意見は聞き届けられ、弟 直義の鎌倉下向が認められる。また帝の皇子・成良親王が預けられたことで足利軍は帝の軍である証を得た。
第29回 『大塔宮逮捕』
護良親王は尊氏の台頭を恐れ、戦を仕掛けようと画策する。この動きを察知した尊氏は「都を戦火から守りたい」と各地の武家に声をかけ、六波羅に軍勢を集め始めた。これに呼応したのは楠木正成をはじめとするそうそうたる武家であった。新田義貞の足利への反論も正成の巧みな説得で抑えられ、尊氏の優勢は揺るぎないものとなった。護良親王は捕えられ鎌倉ヘと送られた。
第30回 『悲劇の皇子』
持明院統を中心に、帝暗殺計画が密かに話し合われていた。そのことは尊氏の耳にも届き北条の残党に対する懸念も深めていた。尊氏の不安は的中し、北条の残党に攻められた鎌倉は陥落寸前であった。直義は鎌倉を脱出する折に護良親王を殺害してしまう。思いもよらぬ事態の急転に尊氏は、征夷大将軍の宣旨を帝に請うため参内を願い出るのであった。
第31回 『尊氏叛く』
北条時行(高時の遺児)は、ついに鎌倉になだれ込んだ。同じころ尊氏は帝へ拝謁し、鎌倉への出陣とともに征夷大将軍の位を懇願。しかし帝からの許しは得られず都に足止めをされていた。尊氏は一族の存亡をかけて関東への出陣を決意する。それに呼応した武家は多く、都を出る足利軍は数千にも及んでいた。そのころ美濃の藤夜叉親子に突然の悲劇が訪れていた・・・。
■DISC.2
第32回 『藤夜叉死す』
戦乱のいざこざに巻き込まれ、深手を負った藤夜叉は死の床についていた。それを知った尊氏は医師を連れて藤夜叉のもとに訪れた。関東へ出陣する尊氏は見舞っただけで藤夜叉のもとを去らねばならなかった。三河に入った尊氏は直義との再会を果たす。そこで直義が護良親王を斬ったことを知らされ「帝にどのように申し開きを・・・」と嘆く尊氏に、義直は「都へ帰らねばよい」と言い放つのであった。
第33回 『千寿王と不知哉丸』
鎌倉を奪還した尊氏は北条の残党を信濃の国まで追い詰めた。鎌倉で内々に開かれた戦勝祝いの席では不知哉丸を連れた花夜叉一座が舞をつとめていた。その夜、尊氏は妻 登子に全てを打ち明けて不知哉丸を引き取りたいと打ち明けた。しかし登子は受け入れなかった。その後、関東制圧を目指す足利軍は公家方支配の領地にまで踏み込んだ。その勢いは棟梁の尊氏にも止められなかった・・・。
第34回 『尊氏追討』
尊氏のもとへ勅使が訪れた。都への召喚を伝える勅使である。直義以下の一族は力ずくでも尊氏の上京を阻もうとの勢いであった。尊氏が鎌倉を出てこないと知った帝は、義貞に命じて尊氏追討の軍をたたせる。朝敵となることを嫌がる尊氏は出家を決意するが、佐々木道道誉に「どうあっても尊氏を討つ」という偽の宣旨を見せられて・・・。
第35回 『大逆転』
鎌倉から出陣した尊氏は新田勢を次々に打ち破り、一気に近江・大津ヘ押し寄せた。そして尊氏は正成に直接会談を申し込む。相対面した尊氏と正成。「このまま行けるところまで行く」と言う尊氏に、正成は「帝が朝敵と定めた足利殿とは戦うまで。ここから鎌倉ヘ引き上げてくれ」と答え、交渉は決裂。その後、足利軍は一度は京ヘ押し入るものの楠木・新田の連合軍に敗れて、九州まで追いやられることとなる。
■DISC.3
第36回 『湊川の決戦』
義貞は足利にくみする播磨の赤松円心討伐に向かったが、円心の籠城策を打ち破れずにいた。そのころ尊氏は新たな援軍を得て京へ向かって進軍していた。足利大挙襲来の報せに驚いた帝は正成を含めた畿内の兵に出陣を促した。新田・楠木の軍勢と湊川で相対した尊氏は奇策を使って、これを撃破したのであった。義貞は単身京ヘ退却する。
第37回 『正成自刃』
足利軍との壮絶な戦いを繰り広げる正成。しかし軍神は尊氏に味方した。敗れた正成は降伏勧告を断って死に場所を求めてさまよった。そして兄 正成と弟 正季は、とある道場にたどり着く。「わしは鬼にはなれぬ、七度でも人間に生まれ、家の木庭に花を作り、外には戦いのなき世を眺めたい」。こうして正成は一族とともに自刃した。足利の勢いを恐れた帝は叡山に再度の動座を決意した。
第38回 『一天両帝』
足利優勢に戦は続き、尊氏は帝ヘ密使を送った。帝へ降伏を願い出たのである。それを知った義直は激怒する。帝はそれを受け入れ、叡山を下るのであった。その後、後醍醐帝から光明帝に皇位継承が行われた。同時に尊氏は権大納言に任じられ、京に新たな幕府が開かれた。しばらく後、先帝の後醍醐が都から姿を消した・・・。
第39回 『顕家散る』
吉野で朝廷を開いた後醍醐帝。南朝の期待を背負って奥州で兵をを集めた北畠顕家は、足利軍を打ち破りながら西走した。しかし京を目前にしたで顕家は伊勢ヘ向かう。そこには父 親房がいた。「なにゆえ伊勢へ来た。 血迷うたか」と父に叱陀された顕家は「顕家は疲れました。無性に父上にお会いしたくなりました」と答える。間もなく顕家は失意のうちに命を絶つのであった。
■DISC.4
第40回 『義貞の最期』
越前の義貞はわずかな兵とともに戦っていた。足利方の細川軍の射た矢が義貞に命中。これが致命的な一矢となった。義貞戦死の報せはすぐさま尊氏のもとに届いた。翌年、念願であった征夷大将軍を拝命した尊氏は名実ともに武家の棟梁となり、足利幕府が開かれる。しかし、これが尊氏と直義の不幸の始まりだったのである。
第41回 『帝崩御』
吉野の後醍醐帝が死の床にいた。後醍醐帝崩御の報せは直ちに尊氏に届いた。主を亡くした南朝方は各地で激しい反撃に出る。幕府はそれを力でねじ伏せていく。まさに血みどろの戦いであった。一方、幕府では評定方の直義と高 師直などの有力武将との対立が起こっていた。そして直義と道誉の問でも激しい争いが起こっていた。
第42回 『母の遺言』
師直は道誉の館で見かけた塩冶判官高貞の妻である西台という女に夢中であった。その屋敷に忍び込み、高貞の家臣に斬りつけられる始末。そんな折、上皇の列に矢を射たものがいた。足利の武将の土岐頼遠である。音便に済まそうとする幕府であったが直義は頼遠を斬首してしまう。「このままでは幕府は倒れる、足利は割れる」と尊氏は危機感をつのらせた。とき同じく、母 清子が世を去る・・・。
第43回 『足利家の内粉』
親房が吉野に戻ったことで南朝方の士気が盛んになった。九州・河内で南朝方の武将が立ち上がったのである。一方、足利家内では直義と師直の対立が激化していた。同じとき、尊氏と親房の間で秘密の会談が開かれた。南朝が幕府を認めるならば吉野の帝に京を返上すると尊氏は持ちかけたのである。思ってもみない申し出に驚く親房であったが、これを拒否した。
■DISC.5
第44回 『下剋上』
直義は帥直の暗殺を謀るが失敗に終わる。しばらく後、尊氏の屋敷にて宴が催された。そのとき師直・師泰らのククーデターが知らされる。これは直義の目を覚まさせるために尊氏の仕組んだものであった。尊氏は直義に政から身を引かせ、鎌倉の義詮に譲ろうと考えていた。そして仕組まれたクーデターの幕が開いた・・・。
第45回 『政変』
師直が尊氏の屋敷を取り囲んでいた。直義の失脚が狙いである。尊氏、道誉、帥直を敵にして勝てるはずもなく、直義は幕府の実権を鎌倉の義詮に譲ることを宣言する。その後、鎌倉から義詮が呼ばれることとなる。足利宗家の期待を一身に浴びての入京である。しかし翌年、直冬が九州で挙兵することととなる。それは尊氏の新たな苦悩の始まりであった・・・。
第46回 『兄弟の絆』
師直は直冬を討つべしと尊氏に進言していた。そして直義も討つようにと。聞き入れない尊氏に対し師直は不満を抱く。しぱらく後、直冬が蜂起。事態を重くみた尊氏は自ら出陣を決意した。一方、一条の君からそそのかされた師直は、対立する直義だけでなく棟梁の尊氏までも討とうと密かに考えていた。そのころ幽閉中の直義が都から姿を消した。南朝方に降伏の申し出に行ったのである・・・。
第47回 『将軍の敗北』
直義が南朝に下ったという報せは、すぐに尊氏に届いた。尊氏は直冬討伐に備前まで来ていたが、すぐさまとって返す。一方、京の義詮は直義蜂起の報せを受け、ひとまず京を退いた。摂津にて激突した尊氏と直義。数の上では勝っていた尊氏であったが直義の前に敗れ去る。直義は和議の条件に師直の首を要求したが尊氏は断固はね返す。結局、師直兄弟の出家にて和議が成立したのだが・・・。
■DISC.6
第48回 『果てしなき戦い』
兄であり将軍である尊氏を討ち負かした直義が京へ戻ってきた。直義は敗軍の将である尊氏を招いて戦後処理会議を行おうとした。だが、やってきた尊氏は堂々たる態度であった。尊氏の詭弁に丸め込まれた直冬は尊氏に従うしかなくなった。しかし、その後も各地で尊氏将軍派と直義派の戦が頻繁に起こる。間もなく九州の直冬も将軍派と戦いを始め、次々に打ち破っていった・・・。
第49回 『尊氏の死』(最終回)
尊氏は直義を討つ決心をする。適当な口実を作り、京を出た尊氏と義詮は親房と休戦を取り付け、後顧の憂いを絶ってから直義と対峙した。挟み撃ちにされて敗北した直義であるが、尊氏からの和議にも徹底抗戦の構えを崩さなかった。直義は鎌倉へ落ち延び、尊氏は関東へ軍勢を進めた。相模での再度の全面対決も尊氏の大勝利であった。捕えられ幽閉された直義は尊氏の再三の申し出も断り続けた。間もなく尊氏は自らの手で直義を毒殺する。その後、病に倒れた尊氏がようやく京へ戻ったのは、2年後のことであった。九州の直冬は南朝に身を投じ、尊氏と徹底抗戦した。京ヘ上りつめ、勝利目前の直冬であったが・・・。
延文3年(1358)。尊氏は京の館にて、登子と道誉とともに猿楽を楽しんでいた。高らかな音曲の中で、尊氏の意識は薄らいでいくのであった。足利尊氏、享年54、波乱の生涯がここに閉じたのである。
【出演】
真田広之、武田鉄矢、陣内孝則、柳葉敏郎、高嶋政伸、根津甚八、沢口靖子、宮沢りえ、後藤久美子、樋口可南子、原田美枝子、
片岡鶴太郎、大地康雄、榎木孝明、勝野 洋、柄本 明、近藤正臣、緒形 拳、フランキー堺、片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)ほか
原作:吉川英治 「私本太平記」より
脚本:池端俊策
音楽:三枝成彰
○1991年 放送
*DVD6枚組
*収録時間本編982分/カラー