【収録内容】
■第1回 『父と子』
14世紀初頭、鎌倉幕府は北条一族が専制の色を強め、執権・北条高時を影で操る実力者 長崎円喜は御家人の最大勢力である足利氏を隙あらぱ滅ぼそうと考えていた。そんな折、足利氏の棟梁である足利貞氏のもとに嫡男誕生の報せが届く。その子こそが幼名を又太郎、後の足利高氏(尊氏)である。
十数年後、又太郎は足利荘と隣接する新田荘に好奇心から侵入してしまう。そこで新田小太郎、後に生涯のライバルとなる新田義貞と出会う。15歳になった又太郎は鎌倉にて元服するが、烏帽子親である北条高時の嫌がらせにあう。ある日、高氏は母の使いで北条一族である赤橋家に出向き、そこで美しい娘と出会う…。
■第2回 『芽生え』
高氏は長崎円喜の従者が僧侶に残忍な仕打ちをしているのを目撃。助けようとする高氏はあわやというところで山伏に変装した日野俊基に助けられる。この一件で父 貞氏が円喜に謝罪に行ったと知り、高氏は円喜の非を主張する。貞氏は北条の非難を避けるため、伊勢神宮参拝を口実に高氏を京ヘ遣わす。旅の途中、花夜叉率いる田楽一座に出会い、足利氏を親の敵と信じるましらの石から勝負を持ちかけられるのだった。
■第3回 『風雲児』
入京した高氏は醍醐寺を訪ねた折、偶然にもその庭にて時の帝である後醍醐天皇に出会い日野俊基との再会を果たす。俊基は高氏に腐敗した鎌倉ヘの倒幕の意志を明かし、足利の力が必要だと訴える。高氏は六波羅勢に追われる俊基を助け佐々木道誉の屋敷に連れられる。道誉の屋敷で宴会となり、花夜叉一座の白拍子の藤夜叉と出会い、一夜をともにするのだった。
■第4回 『帝 ご謀反』
公家を中心とした倒幕の謀反が発覚し、高氏は日野俊基との関係を疑われ、六波羅にて取り調べを受ける。鎌倉で、父 貞氏が長崎円喜に頭を下げ、円喜は案ずるに及ばずと言う。俊基の犠牲もやむなしとする公家の中、後醍醐天皇は、心痛の面持ちであった。高氏は六波羅から釈放され、鎌倉への帰途についたが、藤沢の手前で侍所の武者に包囲されてしまう。
■第5回 『危うし 足利家』
高氏捕縛は北条家による足利家への宣戦布告にみなされ、幕府に緊張が走った。父 貞氏は北条高時に直接会い、高氏釈放を願い出るが、長崎円喜の力の大きさを思い知らされる。そのころ、鎌倉に護送される日野俊基を見守る花夜叉一座がいた。鎌倉の足利つぶしにも発展しかねない状況を知り、藤夜叉はショックを受ける。藤夜叉は高氏の子を身ごもっていた。
■第6回 『楠木登場』
赤橋守時の計らいで解放された高氏は、父 貞氏とともに守時の館へ赴く。守時は北条一族の身内として、今回の横暴を深く詫びた。さらに守時は、妹 登子との縁談を持ちかける。一方、俊基から脇差しを預かったましらの石は楠木正成との出会いを果たす。そのころ高氏は佐々木道誉から、藤夜叉が高氏の子を身ごもったと知らされる。
■第7回 『悲恋』
奥州の反乱は鎌倉からの度重なる鎮静軍にもかかわらず収まる気配がなかった。長崎円喜は足利屋敷を直接訪ね、足利氏に6千もの兵を要請した。「北条のお身内」と言われては貞氏も断ることが出来なかった。一方、藤夜叉の妊娠を知った石が藤夜叉を連れ去ろうとしたとき高氏が現れる。藤夜叉に「ともに京ヘ」と誘われた高氏は心乱れてしまう。
■第8回 『妖霊星』
藤夜叉は石とともに伊賀へと旅立った。貞氏は右馬介を伊賀ヘ向かわせ、藤夜叉親子の様子と楠木正成の動向を探らせた。謀反の疑いで捕えられていた日野俊基は無罪放免となり京ヘ帰った。一方、円喜を暗殺して北条氏混乱を企てる一味が藤夜叉一座に潜り込んでいた。高氏と登子の婚礼が盛大に行われ、婚礼儀式の総仕上げの宴の日取中に事件は起こる…。
■第9回 『宿命の子』
北条高時の狂乱、石との格闘の末、ようやく我が屋敷に帰り着いた高氏は、父 貞氏は不治の病に倒れたことを知る。貞氏から祖父 家時の遺言内容を聞かされ、「決して迷うな」という言葉とともに家督を譲り受ける。執権職は金沢貞顕を経て、赤橋守時が継ぐこととなった。一方、伊賀の里では、藤夜叉のもとで高氏の子が育っていた。のちの足利直冬である。
■第10回 『帝の挙兵』
吉田定房の裏切りにより幕府は帝の側近たちを一斉検挙した。都の異変は鎌倉にも届き、円喜に反長崎と目された佐々木道誉は命からがら足利館に逃げ込んだ。高氏・直義らは日野俊基の斬首と後醍醐天皇の流島の可能性を聞かされる。幕府は京ヘ3千の兵を送り込んだ。帝が奈良を経て笠置山に立てこもったという報せは楠木正成にも伝わったが勝敗は見えていた…。
■第11回 『楠木立つ』
六波羅軍のまさかの敗北により喪中の足利にも出兵命令が下る。初陣と数日遅れて出立する高氏は「矢は一本も撃たぬ。必ず無傷で帰る」と登子に約束した。そのころ「南なる大樹の木陰に休め」という不思議な夢をみた帝は「楠木正成を召せ!」と指示。前例無き破格の沙汰に困惑した正成だが断りきれず、ついに挙兵を決心する。
■第12回 『笠置落城』
楠木立つとの情報を得た高氏は幕府が苦戦を強いられるだろうと感じる。一方、笠置山に入った正成は帝と対面し我が策を述べ下山し、河内で挙兵した。北条軍の不意をついた楠木軍は数日のうちに河内の北条軍を大混乱におとしめた。しかし持明院統の新帝を即位させた北条氏は後醍醐帝を先帝とし、帝派から大義を奪うことに成功。笠置山は陥落し、帝は捕えられたのであった。
■第13回 『攻防赤坂城』
捕えられた帝は都に送られ六波羅に幽閉された。そのころ後醍醐帝の側近である北畠親房は鎌倉将軍の中で唯一、帝の兵と戦うそぶりを見せなかった高氏に興味を示す。息子 顕家の嘆願で親房に会った高氏は帝を暗殺者から守ってほしいと頼まれる。一方、2万を超える幕府軍がわずか5百の兵で赤坂城に立てこもる正成軍を攻め立てるのであった。
■第14回 『秋霧』
赤坂城が陥落し護良親王は吉野ヘ落ちのび、正成は姿をくらました。そのころ伊賀付近を進軍中の高氏は北条の使者より正成追討を命じられる。そのとき正成は花夜又らと合流していたのである。正成と再会した花夜叉は、妹 卯木として正成をかくまった。高氏らが伊賀の里へかかったところ、合流していた右馬介が休憩を勧める。そこで高氏は藤夜叉と息子である不知哉丸と再会することとなる。
■第15回 『高氏と正成』
花夜叉一座とともにする正成が関所に留め置かれてしまう。一行の中に正成を発見した高氏は機転を利かせ一座を放免する策をうった。そのころ後醍醐帝の隠岐島への配流が決まる。鎌倉に帰省した高氏は父の弔いもそこそこに出陣したことが気がかりであり、さっそく法要をと思っていた。しかし幕府は足利一族の集結を好まず、これを禁止したのである。
■第16回 『隠岐配流』
後醍醐帝を隠岐ヘ護送する幕府軍の指揮は佐々木道誉がとっていた。道誉の帝に対する気遣いは幕府の不振を買う。高氏は懸案されていた亡き父の葬儀を行い、足利寺には一族が集結。その中には新田義貞の顔もあった。義貞は高氏と面会して足利の本心を問う。そのころ幕府の手に落ちていた赤坂城を正成が奪い返したのであった 。
■第17回 『決断の時』
佐々水道誉の招きで佐々木亭を訪れた高氏は道誉に倒幕の意を明かす。同席していた花夜叉に、正成によろしく伝えるよう頼む。勢いを増す正成軍に対し幕府は10万の軍勢を送る。その軍勢には足利軍の名はなかった。足利軍を含めた次の出兵こそが鎌倉が手薄になる。高氏は密かにそう思っていた。問題は、その時まで正成が持ちこたえるか…。
■第18回 『帝の脱出』
帝が隠岐からの脱出に成功したことで宮方の軍勢の勢いは増すぱかりであった。播磨の赤松則村が倒幕の兵を挙げ、河内の正成も壮絶な戦いを続けていた。そのころ足利館には執権 赤橋守時が訪れていた。軍勢の催促であった。そのころ新田義貞は六波羅軍とともに千早城攻めに参加していたのである。
■第19回 『人質』
千早城に立てこもっていた正成は10万の大軍を相手に千人にも満たない兵で知力を尽くして戦っていた。そして隠岐から帝が脱出されたとの報せを聞き勢いを取り戻す。出陣が近づく足利軍と高氏のもとへ仮病を使って鎌倉へ戻ってきた義貞が訪れる。義貞と密会した高氏は具体的な倒幕計画を練っていく。
■第20回 『足利決起』
「北条を討ち、政を正そうと思う。敗れれば滅ぶ。勝っても裏切り者のそしりを受けよう」。鎌倉を出陣する朝、高氏は直義と高 師直に告げた。鎌倉を発った足利軍はわずか2百あまり。足利ゆかりの三河矢作の地に到着した高氏は分家一同の前で激を飛ばし、伯耆船上山の帝のもとヘ馳せ参じた。足利軍の決起の瞬問である。
■第21回 『京都攻略』
高氏は京の六波羅軍に反旗を翻した。そのころ新田義貞は鎌倉攻めの兵が思うように集まらず苛立っていた。戦費を迫る鎌倉の役人を切り捨て生品神社にて挙兵した。兵はわずかに150である。しかし新田の勢いは目を見張るものがあった。次々に北条軍を打ち破りながら南下していった。一方の高氏は六波羅を落としていた。わずか2日問の戦いであった。
■第22回 『鎌倉炎上』
鎌倉攻めを行っていた新田義貞は必死の抵抗を繰り返す北条軍に苦戦を強いられた。兄 守時の無事を祈る登子であったが守時は合戦のさなかで自害した。義貞は知略を駆使して北条軍の防衛網を突破。もはや戦意を失った北条高時は長崎円喜親子とともに菩提寺である東勝寺にて自害して果てた。ここに150年の鎌倉幕府が幕を閉じた。
■第23回 『凱旋』
六波羅陥落の報せを受けて後醍醐帝は京を目指した。西宮で正成の出迎えを受け、高氏と道誉の待つ東寺に到着した。高氏は鎮守府将軍に命じられた。ある夜、里内裏にて催された宴会の場で高氏は正成と再会することとなる。同夜、北畠親房亭に訪れていた護良親王は「次なる北条」と高氏を敵視するのであった。
■第24回 『新政』
足利高氏の名代として鎌倉攻めに参じた干寿王は、わずかに4歳。その後見役として細川和氏、頼春、師氏の3兄弟が鎌倉の戦後処理にあたっていた。そこでは足利と新田の微妙な関係に軋礫が生じていたのである。そのころ後醍醐帝は高氏を敵視する護良親王に「高氏もそなたの力も、ともに大切に思うておる」と言い聞かせた。
■第25回 『足利尊氏』
護良親王は楠木正季らに高氏暗殺を依頼した。二人の仲を案ずる帝は両者の手打ちの場所を設けようとする。そこで帝は高氏の真意を問う。「諸国より武士を集めてなんとする」。高氏は躊躇することなく「武士が上洛するは、ご新政のため」と答える。そのころ護良親王の催促により新田義貞が上洛した。高氏は帝の名の一字を授かり「尊氏」となったのである。
■第26回 『恩賞の波紋』
廉子の部屋にて倒幕の恩賞沙汰が決められていたが、それは平等とは言い難いものであった。赤松円心はともに六波羅を攻め落とした尊氏のもとを訪れ、帝を信じた白分が愚かだったと嘆く。尊氏にしても新田との問に恩賞の差を感じていた。そのころ北畠親房親子は帝から奥州下向を命じられていた。
■第27回 『公家か武家か』
奥州に火の手をあげた北条残党軍の討伐のために朝廷は北畠顕家を派遣した。公家の派遣という前代未聞の沙汰にとまどう武家。しばらく後、尊氏は帝に拝謁すべく参内した。目的は鎌倉及ぴ関東の治安維持を武家に委ねて欲しいと願うことであった。それは公家支配の新政ヘ真っ向から立ち向かうことを意味していたのである。
【出演】
真田広之 武田鉄矢 陣内孝則 柳葉敏郎 高嶋政伸 根津甚八 沢口靖子 宮沢りえ 後藤久美子 樋口可南子 原田美枝子 片岡鶴太郎 大地康雄 榎木孝明 勝野洋 柄本明 近藤正臣 緒形拳 フランキー堺 片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)ほか
※ラッピングのご注意点
・商品個々の包装は承っておりません。