秋より高き 晩年の秋山好古と周辺のひとびと 片上雅仁

題名:秋より高き 晩年の秋山好古と周辺のひとびと
著者:片上雅仁
単行本:ソフトカバー
サイズ: 18.8×13×1.2cm(四六判版)
ページ数:184ページ
出版社: アトラス出版
発売日: 2008/7/14

目次

一   校長就任
二   北予中学校の揺籃とパリの縁
三   無休主義
四   温厚と平等
五   人間的吸引力
六   校長の責任
七   生徒は兵隊ではない
八   松山高校の紛争を調停
九   運動競技は各国民の品位を代表する
十   温泉、ヘボ碁、都々逸
十一  天皇の見方
十二  経世の道
十三  自治と科学的精神
十四  関東大震災、朝鮮、中国
十五  自分の劣勢を認める勇気
十六  私学的自由の尊重
十七  若き日に「必ずしも艶聞なきにあらず」
十八  同志たち (1) 加藤恒忠
十九  同志たち (2) 新田長次郎
二十  同志たち (3) 白川義則
二十一 舞台まわしは井上要
二十二 校長はすでに老いて
二十三 自己教育
二十四 銅像は見ている


著者・片上雅仁のプロフィール

昭和30年、愛媛県松山市生まれ。一橋大学経済学部卒業。朝日新聞愛媛版短歌投稿欄選者。愛媛県県立高校地理歴史・公民科教諭。
好古が校長を務めた北予中学校の後身である松山北高等学校に平成18年度まで勤務したことから、朝日新聞愛媛版に「晩年の秋山好古」を連載し、好評を博した。

著者からのコメント

日露戦争で騎兵部隊を率いて大活躍した秋山好古は、その後、陸軍大将にして陸軍教育総監という 地位に上りつめ、65歳で現役を退きます。

そして、郷里の松山から要請され、松山の私立北予(ほくよ)中学校(現在の愛媛県立松山北高校)の校長に就任します。大正13年から昭和5年まで、足かけ6年3ヶ月にわたって校長職を務め、それを退任して7ヶ月ほどで亡くなりました。

好古は、この6年あまりの間、見事に無遅刻無欠勤で勤め続けました。また、「生徒は兵隊ではない」と言って、軍事教練(当時は文部省が定めた必修科目でした)は最低限で済ませ、一方で、陸上競技や野球などの運動競技のほうは大いに奨励しました。

生徒に対する多くの講話の記録を調べてみると、デンマークの酪農の発展と北海道における牧畜の発展ぶりを比較してみせたり、科学技術研究が大切であることを強調したり、あるいは、被差別部落問題や朝鮮人差別問題についても、その不合理不条理をズバズバと語っています。

その幅広い教養、卓越した国際感覚、もと軍人であったことが信じられないようなリベラリストぶりには、目を見張るものがあります。

本書では、好古の校長ぶり通して、軍人時代には好古があまり見せなかった側面をたっぷりと描いたつもりです。

あわせて、北予中学校の運営や松山高等商業学校(現在の松山大学)の設立に尽力した加藤拓川(正岡子規の叔父)、井上要(伊予鉄道の創始者)、新田長次郎(松山の出身で動力伝導皮革ベルトの生産で大富豪となった)など、好古と手を携えあって時代を切り開いた人々のことも紹介します。

『秋山真之の謎を解く』(アトラス出版)は、本書の姉妹編のつもりです。できれば両方を併せてお読みいただきたく思います。