どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

(中古品)どもる体 (シリーズ ケアをひらく)
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高さ : 2.40 cm
横幅 : 15.00 cm
奥行 : 20.80 cm
重量 : 380.0 g状態【中古品】 ※梱包時のサイズとなります。商品自体のサイズではございませんのでご注意ください。
「科学性」「専門性」「主体性」といったことばだけでは語りきれない地点から≪ケア≫の世界を探ります 居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 在宅無限大: 訪問看護師がみた生と死 異なり記念日 どもる体 中動態の世界 意志と責任の考古学 著者 東畑 開人 村上 靖彦 齋藤 陽道 伊藤 亜紗 國分 功一郎 内容紹介 「ただ居るだけ」と「それでいいのか?」をめぐる 感動のスペクタクル学術書! 京大出の心理学ハカセは悪戦苦闘の職探しの末、ようやく沖縄の精神科デイケア施設に職を得た。 しかし、「セラピーをするんだ!」と勇躍飛び込んだそこは、あらゆる価値が反転するふしぎの国だった??。 ケアとセラピーの価値について究極まで考え抜かれた本書は、同時に、人生の一時期を共に生きたメンバーさんやスタッフたちとの熱き友情物語でもあります。 一言でいえば、涙あり笑いあり出血(!)ありの、大感動スペクタクル学術書! 「普通に死ぬ」を再発明する。 病院によって大きく変えられた「死」は、いま再びその姿を変えている。 現在の在宅死は、かつてあった看取りの文化を復活させたものではない。 先端医療が組み込まれた「家」という未曾有の環境のなかで、訪問看護師たちが地道に「再発明」したものである。 著者は並外れた知的肺活量で、訪問看護師の語りを生け捕りにし、看護が本来持っているポテンシャルを言語化する。 「看護がここにある」と確かに思える一冊。 著者の齋藤陽道さんもパートナーの麻奈美さんも、耳の聞こえない写真家です。 陽道さんの第一言語は日本語。麻奈美さんは日本手話。言葉が違えば見ている世界も違います。 ふたりの間に生まれた樹(いつき)さんは、どうやら聞こえるらしい。聴者です。からだが違えば見ている世界も違います。 そんな「異なる」3人が、毎日をどんな風に過ごしているのか。本書は、ケアが発生する現場からの感動的な実況報告です。 しゃべれるほうが、変。 何かしゃべろうとすると最初の言葉を繰り返してしまう(=「連発」という名のバグ)。 それを避けようとすると言葉自体が出なくなる(=「難発」という名のフリーズ)。 吃音とは、言葉が肉体に拒否されている状態です。 しかし、なぜ歌っているときにはどもらないのか? なぜ独り言だとどもらないのか? 本書は、従来の医学的・心理的アプローチとはまったく違う視点から、 吃音という「謎」に迫った画期的身体論です! 自傷患者は言った「切ったのか、切らされたのかわからない。気づいたら切れていた」。依存症当事者はため息をついた「世間の人とは喋っている言葉が違うのよね」 ??当事者の切実な思いはなぜうまく語れないのか? 語る言葉がないのか? それ以前に、私たちの思考を条件付けている「文法」の問題なのか? 若き哲学者による《する》と《される》の外側の世界への旅はこうして始まった。ケア論に新たな地平を切り開く画期的論考。