木下製粉 ブラウワー全粒粉 6kg(1kg×6袋) パン用 強力粉 小麦粉 全粒粉小麦粉 チャック付ラミネート袋 ファリーナコーポレーション

●胚乳部分と表皮を分別処理した独自開発の小麦全粒粉です(製造特許第5568335号、製造特許第6581764号)
●従来の全粒粉特有の雑味をカットし、小麦本来の風味が味わえます。
●ブラウワー全粒粉100%でも風味豊かなパンが焼き上がります(膨らみは少し小さくなります)。
●小麦粉の11〜12%相当を小麦ふすまに置き換えているので、同じ量を摂取しても小麦粉を11~12%カットできます。
●カットした11〜12%はそっくり小麦ふすまで代替されるので、不足しがちな食物繊維が充分に摂取できます。

【商品重量】6kg(1kg×6袋)
【原材料名】小麦(カナダ産、オーストラリア産)
【主な用途】食パン、ピザ、フランスパン
【保存方法】高温多湿を避けてください。4〜9月頃は、野菜室や冷蔵室での保管をお奨めします。
【賞味期限】8ヶ月
【栄養成分表示(100g当たり)】エネルギー:341kcal、たんぱく質:12.4g、脂質:1.4g、炭水化物:74.7g(糖質64.8g、食物遷移9.9g)、食塩相当量:0g<推定値>
【その他】灰分:0.94%、グルテン:37.3%

※当商品は、製造を木下製粉株式会社で行い、販売をファリーナコーポレーションが行っています。
ブラウワーシリーズの「小麦ふすま」について
ブラウワーは、小麦の胚乳部分と表皮部分(小麦ふすま)と別々に処理することで、雑味を取り除いた新開発の小麦ふすま配合の小麦粉です(製法特許第5568335号)。お好みに応じて、粗挽きふすまと微粉砕ふすま、また含まれるふすまの量もご選択いただけます。ブラウワー(全粒粉50%配合)には粗挽きふすま、そしてブラウワーファイン(全粒粉50%配合)とブラウワー全粒粉には微粉砕ふすまが使用されています。

粗挽きふすまを使用したブラウワーは、「サクサク感」や「噛みしめ感」が強調されるのに対し、微粉砕ふすまを使用したブラウワーファインやブラウワー全粒粉は、もっちりとしたきめ細かい食感が特徴です。

商品名ブラウワーは、小麦ふすま(ブラン=bran)をたっぷり含んだ小麦粉(フラワー=flour)という意味を込めて、ブラウワー(brour)としました。従来の小麦粉にはない小麦風味豊かな味わいに加え、食物繊維がたっぷり入ったブラウワーをどうかご賞味ください。

食物繊維摂取量の目標
厚生労働省は、一日当りの食物繊維摂取量18g以上を推奨していますが、現在私たちの平均摂取量は僅か14.3gにしか過ぎません(厚生労働省Webサイトより)。

通常の強力粉には100g当り2.7g(五訂日本食品標準成分表)であるのに対し、ブラウワー全粒粉には9.9g(香川県産業技術センター分析値)と、3.5倍以上の食物繊維が含まれています。よって小麦粉1食分(80g=例えば六つ切り食パン2枚分)を、通常の強力粉からブラウワー全粒粉に置き換えると、食物繊維は5.7g (=7.9g-2.2g)アップします。

つまり1日の平均的な食物繊維摂取量は、14.3g+5.7g=20.0gとなり、サプリメントに頼ることなく、通常の食事だけで、厚生労働省推奨値を簡単に達成することができます。


木下製粉株式会社 と ファリーナコーポレーション:弊社は戦後の1946年、小麦の賃加工(ちんかこう)から始まりました。賃加工とは、近隣の農家が持ち込んだ小麦を製粉し、挽いた小麦粉の一部の農家に戻すシステムのことです。その後、讃岐の地において70年以上にわたり製粉業を営んでいます。小規模製粉の利点を活かし、「挽きたての小麦粉」を全国のうどん専門店、パン屋さん、そして個人ユーザの皆様に直接お届けしています。近年は、雑味をカットしたすっきり風味の全粒粉も開発し、「ブラウワー全粒粉」や「さぬき全粒粉うどん」なども製品化。自然な糖質カットと十分な食物繊維の摂取が可能となりました。(株)ファリーナコーポレーションは2000年12月、木下製粉株式会社から独立したBtoC専用の販売会社です。業務用との兼用では、迅速な対応が難しく、ご不便をおかけしていましたので、個人ユーザ専用の販売会社として独立しました。

さぬきうどんと乾麺の生い立ち:さぬきは昔から良質の小麦産地として知られ、江戸の中期(1713年)に出版された百科事典『和漢三才図絵』にも記述があります。また塩田は小麦以上に有名で、塩は砂糖、綿と並んでいわゆる「讃岐三白」を形成し、この小麦、塩を原料に品質の高い醤油がつくられるようになりました。さらには観音寺市の沖合に浮かぶ伊吹島は、イリコの原料であるカタクチイワシが豊富にとれ、うどんの「だし」となりました。このようにさぬきにはうどんに必要なものがすべて揃っていました。また乾麺の歴史ついては、慶長3年(1598)にまで遡ります。当時、小豆郡池田町の住人が伊勢参宮の道すがら大和国三輪において素麺製造の伝授を受け、それ以来今日まで小豆島を中心としてそうめんを製造するようになります。このような先人たちの努力により、その技術は現在の讃岐うどんや乾麺へと引き継がれています。