商品説明内容説明
日本降伏直後の昭和20年8月17日、ソ連軍が突如、北千島の占守島に侵攻してきた。占守島の戦いの最前線にいたのは、旭川第七師団編制の村上大隊と竹下大隊を主体とした4000名。停戦後、武装解除された日本兵は、「日本帰国」とだまされて、最北のシベリアへ送られた。マガダン・コルィマ収容所で死亡した捕虜154名の詳細データも収録。飢餓、重労働、酷寒の三重苦を生き延びた日本兵の体験記、ソ連側の写真文集などを駆使して、ロシア極北マガダンの「地獄の収容所」の実態を明らかにする。
目次
序章 囚人通訳シャーポシニコフと日本
第1章 昭和二〇年八月一七日深夜、ソ連軍、占守島に侵攻
第2章 マガダン、コルィマは「地獄の収容所」
第3章 最北の捕虜収容所、マガダン第八五五収容地区
第4章 北千島の民間人の抑留と日魯漁業の悲劇
第5章 コルィマの地獄の収容所群
第6章 コルィマを生き延びた日本人受刑者
終章 帰国と死亡者数
著者等紹介
長勢了治[ナガセリョウジ]
1949年北海道美瑛町生まれ。北海道大学法学部卒業後、三菱ガス化学入社。退職後、ロシア極東大学函館校でロシア語を学ぶ。以後、シベリア抑留問題を研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社内容情報
飢餓、重労働、酷寒の三重苦を生き延びた日本兵の体験記、ソ連側の写真文集などを駆使して、「地獄の収容所」の実態を明らかにする。この暴虐を国家犯罪と言わずに何と言おうか!
飢餓、重労働、酷寒の三重苦を生き延びた日本兵の体験記、ソ連側の写真文集などを駆使して、「地獄の収容所」の実態を明らかにする。
日本降伏直後の昭和20年8月17日、ソ連軍が突如、北千島の占守島に侵攻してきた。占守島の戦いの最前線にいたのは、旭川第七師団編制の村上大隊と竹下大隊を主体とした4000名。停戦後、武装解除された日本兵は、「日本帰国」とだまされて、最北のシベリアへ送られた。
マガダン・コルィマ収容所で死亡した捕虜154名の詳細データも収録。
序 章 囚人通訳シャーポシニコフと日本
第一章 昭和20年8月17日深夜、ソ連軍、占守島に侵攻
最後の地上戦、占守島の戦い/報復か、最強の日本兵4000人を最北のマガダンへ強制連行/シベリア抑留とは何だったのか
第二章 マガダン、コルィマは「地獄の収容所」
弾圧犠牲者の慰霊碑《深き悲しみのマスク(マスカ・スコルビ)》/ソ連収容所群島のなかのマガダン、コルィマ/極北建設総局(ダーリストロイ)と北東収容所(セヴヴォストラーグ)
第三章 最北の捕虜収容所、マガダン第八五五収容地区
第一収容所/第二?第四収容所/懲罰ラーゲリ
第四章 北千島の民間人の抑留と日魯漁業の悲劇
郡司大尉の報效義会と北の防人、別所佐吉・二郎藏/北千島における民間人の抑留生活/囚人収容所に送られた日魯漁業幹部
第五章 コルィマの地獄の収容所群
ハトィナフ収容所(金鉱山)/エリゲン収容所(女囚、農業ソフホーズ)/セルパンチンカ監獄(銃殺監獄)/マリジャク収容所(仮借なき金鉱山)/ジェルガラ収容所(スターリンのダッハウ)/ブトゥグイチャグ収容所(錫、ウラン鉱山)
第六章 コルィマを生き延びた日本人受刑者
捕虜と囚人では何が違うのか/31柱の日本人遺骨の謎/マガダン組/大陸組
終 章 帰国と死亡者数
死亡者数は何人か/全員帰国
参考文献
マガダン・コルィマにおける死亡者名簿
長勢 了治[ナガセ リョウジ]
著・文・その他
【ご確認ください】
■
ご注文確定時に在庫切れの場合もございます。
ご注文時の在庫先によっては
4日以上(〜7日)かかる場合もございます。 当ストアではお取り寄せのご対応を行っておりません。
■
ご予約品と既刊商品は
カート・ご注文番号が分かれます。
ひとつのご注文番号におまとめすることはできません。
※ご予約品のうち、発売日が同じ商品のみひとつのカート・ご注文番号でご注文可能です。
※送料はご注文番号ごとに計算されます。
■ギフトなどのためにお届け先を別住所に登録されましても、金額入りの明細書は商品に同梱されます。
当ストアでは一切のギフト対応を行っておりません。■ご注文・お問い合わせの前に「
お買い物ガイド」「
ご注意点」をよくお読みください。
■お届け日のご指定は承っておりません。
■「帯」はお付けできない場合がございます。