反戦としての二・二六

著者:鈴木荘一
出版社:彩流社

商品説明

出版社内容情報

あの「二・二六事件」から90年!
当時、陸軍内では日露戦争以来、最大勢力を誇った皇道派が「戦争はわが国一国のみで戦って勝てるもの以外は断じて行わない一国国防主義を採るべきである。わが国はソ連のみを仮想敵国とし、支那とは友好静謐を保ち、米英とは不戦を堅持すべきである」との対支不戦論を唱えていた。一方、陸軍省軍務局長・永田鉄山を領袖とし軍官僚グループからなる統制派という新興勢力が昭和八年頃に発生し「ドイツと軍事同盟を結び、ソ連・米・英との長期持久戦を戦うべく、支那を一撃し原料資源を確保する」との対支一撃論を唱えていた。ドイツでヒトラーが昭和九年八月に総統に就任し、昭和十年三月に徴兵制復活・再軍備を宣言、英国がドイツの再軍備を容認すると、統制派の永田鉄山は「日独軍事同盟を結ぶ集団国防主義」を完遂すべく、同年七月に皇道派の真崎甚三郎教育総監を罷免。こうして皇道派と統制派の抗争は、抜き差しならぬものとなった。陸軍・皇道派の青年将校は、海軍拡張方針による、軍艦建造財源を負担していた農村の窮迫を憂い、海軍偏重を不満とし、昭和十一年二月二六日、「皇道派の真崎甚三郎を首班とする陸軍内閣を作る」と決起し、海軍大将斎藤実ら海軍要人を襲撃。すると天皇は激怒し、断固たる即時鎮定を指示し事件は終息した。皇道派との積年の抗争に勝利した統制派は大規模な粛軍人事により対支不戦論を唱えた皇道派を粛清。最大の反戦勢力だった皇道派は根絶やしになった。その後東條ら陸軍・統制派が天皇の寵を得て、永田が唱えた対支一撃論に基づき中国大陸へ侵攻、無謀な太平洋戦争に突入していったのである。本書は、これまで固定的イメージで見られてきた二・二六事件の真の意味を根源から見つめ直すものである。


【目次】




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