内容説明
37年間ほぼ満席だった「オテル・ドゥ・ミクニ」をたたみ、71歳にしてたった8席の店をオープンする。僕の人生はまだこれから。激動の時代に第一線で活躍し続けた「ミクニ」がやってきたこと、今からやること。
目次
プロローグ 決意1982年 フランス料理修業からの帰国(僕はフランス料理を捨てるつもりで帰国した;料理人への一本道、前に進むことだけを考えた)
第1章 創生1985年 四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」開店(「ビストロ・サカナザ」のとんがった雇われシェフ;「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフになる ほか)
第2章 飛躍1994年〜 新生「ミクニ」で時代の風に乗る(バブルが弾けるも、あえて店を大きくした;オーナーシェフとしての店づくりを始める ほか)
第3章 挑戦1996年〜 ミクニグループ多店舗化始まる(始まりは増毛の海「コートダジュール ミクニズ」;「ミクニ マルノウチ」は丸の内再開発の起爆剤に ほか)
第4章 試練2003〜2011年 経営の危機をどう乗り越えたか(原因不明のまま営業停止処分を受け入れた;高級料理店に来る人なんて誰もいなくなった ほか)
第5章 勲章2007〜2015年 まさかの星なし!?ミシュランとの決別(「ミクニ」に星はつかなかった;大学より名誉博士号、政府より勲章を授与された)
第6章 進化2020年〜 最大の危機・コロナ禍で新たな決意をした(『ジャポニゼ』を出版した;コロナ禍が大きな転機となった ほか)
著者等紹介
三國清三[ミクニキヨミ]
1954年北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業し、駐スイス日本大使館料理長に20歳で就任。その後名だたる三つ星レストランで腕を磨き、8年後に帰国。85年、東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店。予約の取れないグランメゾンとなる。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど国際的にも活躍する一方で、子どもの食育活動やスローフード推進などにも尽力している。2020年にYouTubeチャンネルを開設。登録者数54万人の人気チャンネルとなり、Instagram18万人と合わせると72万人を超える(2025年8月現在)。22年、惜しまれながらも「ホテル・ドゥ・ミニク」を閉店、25年、カウンター8席の「三國」を開店(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社内容情報
37年間ほぼ満席だった「オテル・ドゥ・ミクニ」をたたみ、
70歳にしてたった8席の店をオープンする
僕の人生はまだこれから。
フレンチの巨匠が「ミクニ」でやってきたこと、やれなかったこと
今を遡ること40年前、三國清三が30歳でオープンした「オテル・ドゥ・ミクニ」。
一度は潰れる寸前までいくものの、一億総グルメブームの波に乗り、予約の取れない人気店に。
バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍など、数々の困難を乗り越え、
37年間ほぼ満席だった奇跡の名店。
三國は料理人として、経営者として、「ミクニ」をどう育て、グループを大きくしてきたのか。
激動の昭和、平成、令和を超えた、正面突破の生きざまに迫る渾身の自伝。
「オテル・ドゥ・ミクニ」は2022年末に惜しまれながら閉店−−−。
同じ場所に2025年9月、カウンター8席だけの店「三國」がオープンする。
ここは71歳の三國が、ひとりで切り盛りする店。
いよいよ人生第二章。「僕は、来世でやろうとしたことを今世でやることにした」。
【目次】
【目次】
プロローグ
決意 1982年 フランス料理修業からの帰国
第1章
創生 1985年 四ッ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」開店
第2章
飛躍 1994年〜 新生「ミクニ」で時代の風にのる
第3章
挑戦 1996年〜 ミクニグループ多店舗化始まる
第4章
試練 2003〜2011年 経営の危機をどう乗り越えたか
第5章
勲章 2007〜2015年 まさか星なし?ミシュランとの決別
第6章
進化 2020年〜 最大の危機、コロナ禍で新たな決意をした