内容説明
「先生にお願いがあります。私を長生きさせて下さい。みんなに会った時、平和になったよ、そう言えるよう頑張りたいんです」79歳で長崎から東京に家出した「わたくし96歳」こと「ハハ」が、75年間封印してきた原爆の体験を語り始め、「伝え続ける」と90歳で決めた理由。
目次
第一章 8月9日、あの日(16歳)(1945年8月9日長崎)
第二章 生い立ち(0歳〜20歳)(祖父との暮らし、両親との暮らし;戦争を感じ始めた;戦争が終わって)
第三章 戦後を生きる(21歳〜75歳)(結婚、そして子育て;再び蘇る戦争の記憶;次のステップ)
第四章 家出、入院、そして応援(76歳〜92歳)(東京に行きます;「体が出すサインを見逃すな」;夢中になることがいっぱお)
第五章 わたくし95歳(93歳〜)(体は色々あるけれど;こんな日常;繰り返さない;伝え続ける、言い続ける)
著者等紹介
森田富美子[モリタフミコ]
1929年、長崎県生まれ。1945年8月9日に爆心地から離れた工場で被爆、両親と弟3人は爆心地から200mの実家にいて即死。戦後は、結婚し婚家の家業の経営に加わり、化粧品販売に携わっていた。2007年、東京でヘアメイクの仕事をする長女・京子のところに家出。コロナ禍にiPadを手に入れ、Twitter(現X)で「わたくし90歳」のアカウントで投稿するようになる
森田京子[モリタキョウコ]
長崎県生まれ。4人きょうだいの上から2番目。森田家は家族で商店を経営、母・富美子が化粧品販売とエステ事業をやっていたのを手伝っていた。東京で独立すると上京を決断した時、家族の大反対に合う中で母・富美子だけが「あんたならできる」と背中を押してくれた。ヘアメイクとしてテレビや広告などの仕事を行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社内容情報
「実は先生にお願いがあります。私は原爆で両親と弟3人を亡くしました。みんなの分も生きないといけません。これから先、2度とあんな戦争が起きないように、核兵器がなくなるように声をあげていこうと思っています。私を長生きさせて下さい。みんなに会った時、平和になったよ、そう言えるよう頑張りたいんです」
長崎で生まれ育った「わたくし」。
79歳のとき家出して東京にきて、
90歳で持ったiPadが人生を変えた。
20歳の女性の反戦デモの投稿で反省した。
「私たち戦争体験者が、言わなくてはならない」と。
戦後戦争体験記、被爆体験機とは一線を画した、96歳がいま伝えたいこと。
絶対言い続ける。#戦争反対。
サンキュー、グッナイ。