近藤等則・梅津和時・土取利行 / ライヴコンサート1974:CD

media: CD
label:立光学舎
release:2022.09.11
1974年5月15日 東京青山VAN99ホール

1970年から京都で共演していた近藤と土取は、72年に上京。阿部薫、坂田明、高木元輝などの演奏会場でもあった新宿ピットイン・ティールームで演奏していた。やがて二人にサックスの梅津和時やベースの徳弘崇が加わわるが、梅津は当作品ライブ後74年にNYに発った。75年にEEU (近藤・土取・高木元輝)を結成するも、土取は75年に近藤も78年にNYへ渡る。1980年までは間章プロデユースによりミルフォード・グレイヴスとの公演やデレク・ベイリー来日公演に参加。その後、近藤と土取の音楽は各々独自の方向へと向かい、帰国した梅津も独自のグループ活動を展開していく。この録音は三人の音楽の原点ともいえる激流時代の熱き即興演奏の記録だ。

近藤等則(トランペット)
梅津和時(アルトサックス) 
土取利行(ドラム)

1. インプロヴィゼーション 1 12.49(テーマ作曲 土取利行「テイラーさんの左手」)
2. インプロヴィゼーション 2 28.04(テーマ作曲 土取利行「零雨の水紋」)
3. インプロヴィゼーション 3 24.18(テーマ作曲 近藤等則「ギック・シャック」)
プロフィール:
近藤等則
1948年12月15日生まれ、愛媛県今治市出身のジャズ・トランぺッター/プロデューサー。78年からは米・ニューヨークでジョン・ゾーンやビル・ラズウェルらと活動。帰国後の82年に東京でIMAレーベルを設立し、84年に結成した近藤等則&IMAで人気を博す。93年には蘭・アムステルダムへ拠点を移し、「地球を吹く」プロジェクトに取り組む。2012年から再び拠点を日本に移し、広島・厳島神社で世界平和をテーマにした音楽祭や、奈良・東大寺で震災犠牲者を追悼するなど多彩な演奏活動を展開。2020年10月17日に死去。71歳没。

梅津和時
1949年宮城県仙台市出身。1970年代にNYのロフトシーンで活躍、帰国後「生活向上委員会大管弦楽団」でブレイク。「D.U.B.(ドクトル梅津バンド)」でヨーロッパでの人気を得、それと並行しRCサクセション、忌野清志郎のサポートとしてロックの世界にも足を踏み入れる。又、度々NYで現地ミュージシャン達と演奏。ユダヤのクレズマー音楽にも出会い、日本で初めてのクレズマバンド「ベツニ・ナンモ・クレズマ」を主宰、現在自身のバンド「こまっちゃクレズマ」に繋がる。またジャズロック系の「KIKI BAND」としても国内、海外で演奏活動を続けている。ダンス、舞踏、映画等とのコラボレーションも多い。

土取利行
1950年、香川県生まれ。1970年代から、ミルフォード・グレイブス、スティーブ・レイシー、デレク・ベイリーといったフリージャズの演奏家たちと共演を重ねる。1976年、ピーター・ブルックの劇団との仕事をはじめ、以降、『Ubu』『鳥の会議』『マハーバーラタ』『テンペスト』『ハムレットの悲劇』『驚愕の谷』などの音楽を手掛ける。世界中で民族音楽を学び、1980年代に桃山晴衣と岐阜の郡上八幡に拠点「立光学舎」を創立、日本の伝統文化再生にも取り組む。10年以上に渡り、日本音楽の古層を調査し、その成果を『銅鐸』『磬石(サヌカイト)』『縄文鼓』などのCDアルバムとしてリリース。最近では、フランスの洞窟壁画の音楽調査と演奏を行っている他、近代の流行歌の元祖、添田唖蝉坊演歌の研究・継承者としても活躍。

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ホイホイレコード Hoy-Hoy Recordsは、日本初にして唯一の「お持ち帰りライヴCD」レーベルとして、2008年に誕生しました。「お持ち帰りライヴCD」とは、アーティスト許諾のもとライヴを録音し、終演後に同日のライヴ音源を会場で販売するという、まさにライヴを「お持ち帰り」いただく試みのこと。
開場前の客席のざわめきから、アンコールの最後の曲が終わり会場全体に響く手拍子まで、ライヴをまるごと記録(なかには編集するものもありますけど)。
このライヴCDは:ホイホイレコードだけ販売:(同ウェッブサイトのみの販売)で一般的な流通はしていません。
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