サイズ
高さ : 1.60 cm
横幅 : 15.00 cm
奥行 : 21.00 cm
重量 : 310.0 g ※梱包時のサイズとなります。商品自体のサイズではございませんのでご注意ください。
まえがきより 京都には寺社が約二千もあります。世界の国々の中で、一つの都市に寺社(教会・礼拝堂等)が二千もあるような古都があるでしょうか。このこと一つだけでも、京都が特別な都市であることは世界中の誰もが認め、驚嘆することでしょう。 その特別な古都・京都の本を手がけるのであれば、京都に在住され、生涯をかけて京都を撮り続けてこられている、おそらく誰よりも京都の美しさを知っていらっしゃる写真家・水野克比古氏の“特別な京都写真”で構成した本をつくって、京都好きの読者のみなさまにお届けしたいと考えたことがありました。 ある日、編集作業の手を休めて、コーヒー・ブレイクをしていた時に、ふっと五つのキーワードが浮かびました。 「京都」「花の寺社」「巡礼」「水野克比古氏の京都写真」、そして「寺社解説と植物解説が一つになった図鑑」の五つです。 この五つの要素を組み合わせた本ができたら、「京都に旅行したいと思っているが、見るところがありすぎるから、何か良いテーマに絞って京都をまわってみたいな」と思われている方々に、「この本であれば素晴らしい京都めぐりができそうだ!」と喜んでいただけるのではないか、と確信しました。 遠い日々に、「ひとつぶで二度おいしい」というキャッチフレーズが流行したことがありました。実は本書は、二度どころか、三度も四度もおいしい内容になっています。 一度目は「京都の寺社の中でも、花が美しい寺社だけを見てまわることができる」。二度目は「巡る八十八寺社のことと、その寺社で巡り合える美しい花のことが、わかりやすく簡潔に解説されているので、寺社図鑑・植物図鑑として使うことができる」。 三度目は「各寺社の建物と花を、『京都写真』の第一人者である水野克比古氏の美しい写真で、四季順に見ることができる」。 四度目は、「あたかも巡礼者のごとく、花の美しい八十八寺社を見てまわることができるので、とっても素敵な、人生の想い出をつくることができる」。 ぜひ本書をお手にされ、素晴らしい“京都の「花の寺社」巡り”をお楽しみください。 二〇二二年五月 蔭山敬吾 本文紹介 (※本文より一部抜粋したものです) 水仙 恵心院 水仙は厳寒を耐え、雪の中でも気品ある花を凛(りん) と咲かせる球根植物で、一~二月頃に葉の間から花茎を出し、数個の花をつける。花の中心の副花冠が愛らしく、春の花壇には欠かせない。 恵心院は京都府宇治市にある真言宗智山派の寺院。弘法大師空海によって開かれた。宇治川にかかる朝霧橋のたもとに佇む?花の寺?として知られる。 躑躅(つつじ) 妙満寺 ツツジやアサガオのように、花びらが合わさって筒状になっている花を“筒咲き”というが、この“筒状の花(形)”のことがツツジの語源である――ツツ(筒)+ジ(接尾語)?。ツツジという名は『万葉集』にも万葉仮名で登場しているので、?躑躅?という漢字はその後に用いられたと考えられている。 当寺は、康応元年(一三八九)、日什大正師によって京都六条坊門室町(烏丸五条あたり)に創建された顕本法華宗の総本山である。 山茶花 金戒光明寺 山茶花は花の少ない晩秋から冬に咲いて、庭や街路を明るくする。日本の固有植物で、四国、九州、沖縄に分布・自生する。同属でよく似たツバキとの簡単な見分け方は、花の落ち方で、ツバキは花がまるごと落ちるが、本種は花弁がばらばらに散る。 金戒光明寺は、知恩院などと並び、京都の浄土宗四本山の一つに数えられる大寺院。「黒谷(くろだに)さん」の通称で親しまれている。幕末には当寺に会津藩の本陣が置かれ、新選組誕生の地としても知られる。 枝垂れ梅 城南寺 城南宮の社殿の西に広がる“春の山”では、春の訪れを告げる百五十本もの枝垂れ梅が咲きあふれ、まさに豪華絢爛。見頃は二月下旬~三月上旬。 平安時代後期、白河上皇によって城南離宮が造営され、城南祭では流鏑馬や競馬が行われた。承久三年(一二二一)、後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を集め、承久の乱が起きた。 木蓮 常林寺 モクレンは蕾のときにはどの蕾も南側からふくらみ始め、花が同じ方向に向いて咲く習慣がある。花は上半分だけ開き、全開しないのがこの花の咲き方の特徴である。 常林寺は寛文十一年(一六七一)の大火で焼失したが、元禄十一年(一六九八)、常林寺第七世の英誉によって本堂が再建された。また、勝海舟が常宿としていたことでも知られる。 藤 遍照寺 藤の蔓は四方に広がり、ほかの木に絡まると、その木を枯らすほど繁茂(はんも)する。日本人は古くから藤を好み、『古事記』には?藤の花衣の伝説?があり、『万葉集』にも二〇首以上ある。 当寺は、永祚元年(九八九)に、宇多天皇の孫にあたる寛朝(かんじょう)僧正が、遍照寺山麓に創建。名門貴族出身者が多い真言密教広沢流の根本道場として名声を高めた。