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精神分析という知の対話的発展を語り下ろす待望の下巻 目次抜粋 ? フロイト以後 11 フロイトとフロイト以後の精神分析 12 第一世代の分析家たち 13 自我心理学の流れ 14 クラインの人と仕事 16 ビオンとポストクライニアン 17 ウィニコットの人と仕事 19 フェアバーンとバリント 20 ラカンの人と仕事 21 現代の精神分析 22 日本の精神分析 集中講義・精神分析? ?フロイト以後 精神分析という知の対話的発展を語り下ろす待望の下巻。 ??フロイ ト以後の発展として,対象関係論を中心に,自我心理学,クライン,ビオン,フェアバーン,バリント,ラカン,そして現代の精神分析を論じる。理論的な入門であると同時に,臨床への示唆にも満ちた,生きた精神分析の講義録。 「第21章」より フロイトという人がそれに明確にかたちを与えて、言葉を与えて、ある一つの考え、文化というか、disciplineとして確立しよう、と考えたのが精神分析の出発点だと思います。その時から百年ちょっとたっていますね。そこにいくつものいろんなパラダイムの変化があったけど、一つのパラダイムができたからって前のが全部放棄されたり、一つの考えが正しいからって前のが全部捨て去られるということはなく、あるパラダイムが生まれるとこっちのパラダイムとの対話が生まれて、そこに緊張が生まれて、そこにまた一個解決が生まれ、その解決が生じたことでこっちにまたもう一つの視点が生まれるという、そういうことの永遠の繰り返しのようにして対話的に、弁証法的に、精神分析という知が構築されてきたことをお話ししてきたわけですよね。しかも、精神分析には訓練とか実践というものがそこにある。つまり人と人との生々しい交わりが患者とのあいだにも起こっているし、訓練を通じて上の世代とのあいだにも起こる、分析家同士のあいだにも。そういう交わりを通して、知の対話的な発展が行われてきているわけです。 世界中の分析家が読んでいる英語標準版を底本に,独語版も参照しつつ,正確でかつ実践家になじみやすい訳書 目次 精神分析における夢解釈の取り扱い(1911) 転移の力動(1912) 精神分析を実践する医師への勧め(1912) 治療の開始について(精神分析技法に関するさらなる勧め?)(1913) 想起すること、反復すること、ワークスルーすること(精神分析技法に関するさらなる勧め?)(1914) 転移性恋愛についての観察(精神分析技法に関するさらなる勧め?)(1915) 精神分析治療中の誤った再認識(「すでに話した」)について(1914) 終わりのある分析と終わりのない分析(1937) 分析における構成(1937) フロイト技法論集 実践家による実践家のためのフロイト フロイトの書物は精神分析を実践する者が何度も繰り返し読むものであり,そのことは,どれほど多くの分析家の書物がそのあとに出版されようとけっして変わることはない。フロイトは精神分析のほとんど可能なかぎりの論点を提起し,それとの対話によって精神分析の知の体系は構築されてきた。本書はそのフロイトの論文のうち,もっとも実践に近い技法論文九本を,斯界の第一人者が翻訳したものである。 「監訳者あとがき」より 一番実践に近い技法論だけでも,もう少し正確でかつ実践家にもう少しなじみやすい訳書があったらなあ,という思いがあった。私はこの企画においては,英語標準版を底本にしようと考えた。フロイトが独語で書いたことは事実であるが,全世界の精神分析はいまや英語の文化である。ロンドンが精神分析の首都といってよく,世界中の精神分析家がSEを読んでおり,精神分析のほとんどの主要な雑誌は英語で出版されている。そうした雑誌の論文でフロイトが引用されているときは,ほとんどSEから引用される。この現実を踏まえれば,英語標準版を底本とすることには積極的な意義があるように私は思った。そして,それに独語版を一定程度参照すれば,さらに面白いものになるだろう。この訳書が正確で読みやすいものになっていることを私はひたすら願う。ともかくも,この訳書が日本で精神分析を志向する人たちの手に取ってもらえるものであることを願ってやまない。 『フロイト技法論集』に続き,正確で読みやすく,臨床家にすでに馴染みのある訳語で,スムーズに読むことができる 目次 強迫神経症の一症例についての覚書(一九〇九) ?病歴の抜粋 ?理論編 ある幼児神経症の病歴より(一九一八[一九一四]) ?前置き ?患者の環境と病歴の概観 ?誘惑とその直接的結果 ?夢と原光景 ?若干の議論 ?強迫神経症 ?肛門性愛と去勢コンプレックス ?最早期からの新しい素材──解決 ?総括と諸問題 フロイト症例論集2 ラットマンとウルフマン 精神分析を学ぼうとするなら必ず目を通さざるをえない重要な二症例,ラットマン(鼠男),ウルフマン(狼男)と呼び慣らわされているふたつの症例についてのフロイトの論文を翻訳したものである。先年刊行の『フロイト技法論集』に続き,フロイトを,臨床家にすでに馴染みのある訳語を使ってできるだけスムーズに読む機会を若い臨床家諸氏に持ってもらいたいという願いから企画された。翻訳作業は,できるだけ正確に,かつできるだけ読みやすい日本語で,を目標に行われた。次に「フロイト症例論集1 ドラとハンス」の刊行が予定され,さらに「メタサイコロジー論集」を加え,フロイト論文のなかで臨床に直接結びつくものがカバーされる構想である。 「監訳者あとがき」より この訳書は、ラットマン(鼠男),ウルフマン(狼男)と呼び慣らわされているふたつの症例についてのフロイトの論文を,英語標準版(Standard Edition: SE)を底本として翻訳したものである。これらの症例論文の意義については言うまでもない。精神分析をすこしでも学ぼうとするなら,必ず目を通さざるをえない二症例である。具体的にはNotes upon a case of obsessional neurosis (1909) In The Complete Psychological Works of Sigmund Freud X (1955)とFrom the history of an infantile neurosis (1918 [1914]) In The Complete Psychological Works of Sigmund Freud XVII (1955)を翻訳した。 土居健郎をして「ほとんどフロイトを越えている」と言わしめた著者の代表三部作 精神分析という営み 私が精神分析的な実践を続けるなかで紡ぎ出してきたアイデアを綴った論文をもとにしている。主に、精神分析の専門誌に掲載されたものと共著の単行本に寄稿したものである。古いものは十年以上前に書かれたものであり、新しいものにはごく最近のものもある。つまり私が四十歳代に書いたものである。 続・精神分析という営み 7年の時を経て待望の続編。逆説をもちこたえるパーソナルな体験。「私たちは自分を失うことをとおして,何者かに出会う。」「緊張、生きていること、生産性、そして性愛は本質的に絡まりあっている。」日々の精神分析という営みのなかから紡ぎ出された言葉が,あらゆる心の臨床家に語りかける。 精神分析という語らい 精神分析の重要な概念、フロイトや日本の精神分析家たちの考えたこと、そして精神分析というできごとについての概念化と語らっている。精神分析というものが何であるのか、そして自分が精神分析家であるということはどういうことなのか、という問いと格闘してきた二十年の成果である。