野田弘志 「 薔薇 」 銅版画 版画 日本画 絵画 バラ 花 モダン 写実 送料無料
【野田弘志 のだひろし】
1936 韓国全羅南道に生まれる(本籍地は広島県)
1945 日本に帰国し広島県で過ごす
1956 上京し阿佐ヶ谷美術学園洋画研究所に通う
森清治郎に絵画を学ぶ
1960 白日会に初入選 白日賞受賞
1961 プルーヴー賞受賞 白日会準会員となる
東京藝術大額美術学部絵画科画専攻(小磯良平教室)卒業
1962 白日会会員となる
1966 「現代日本文学館 三島由紀夫」(文芸春秋)の挿絵制作
1982 白日会展で内閣総理大臣賞受賞
1983 朝日新聞連載・加賀乙彦の小説「湿原」の挿絵担当
1990 日本経済新聞に「写実のこころ10選」を連載
1992 安田笠井東郷青児美術館大賞受賞
1994 第12回宮本三郎記念賞受賞
1995 広島市立大学芸術学部教授に就任
2018 天皇・皇后の肖像画制作 宮内庁に奉納
北海道文化賞受賞
落款:本人鉛筆サイン
限定部数:30/80
技法:銅版画
画面の寸法:縦8.0×横13.0cm
額縁の外寸法:縦43.5×横43.5×厚み1.9cm
額縁の仕様:ゴールド色版画額縁・裏面に吊り金具・ひも付き
付属:差し箱(黄袋付き)
額縁の窓:アクリル
重量:約1.4kg
アインシュタインは「生きていることはそーツアルトを聴けることだ」といった。
これにワインを加えれば野田弘志の作品になり、その人にもなると私は思っている。
あらゆる色彩をモノクロームのグランデーションに還元した静かな豊かさと厳しさをもった野田さんの作品をみていて気づくことがある。
それは脳の後方にある画家の眼の奥行である。
たとえば日本の水墨画は北宋が終わり、南宋の山水画が北宋の巨大さを失ない、単純明快で暗示的なものに変化していったとき、日本はそれをすんなり受入れた。
南宋画はスケールこそ小さくなったがその空間には北宋以来の実体感が継承されている。
が、日本はその部分は受容していない。
だから、水墨の本質そのものの理解という点では日本は基本的に欠落、拒否している部分があったと思う。
「仲の悪い親子のように」継承していない部分があるのは、西欧からの絵肌も同じである。
一見、見分けのつかない精密な技法をつくりだすのに忙しく、途方もない時間のかかる
経験の積み重ねには興味を失って、それらしきものと、それとの区別さえつかなくなっている時代にあって成約に逃げをうたないのか野田さんの仕事である。
それらしきものと、それとの区別にこだわった仕事なのだ。
眼のなかで夢を燃焼させている野田絵画の絵肌は実相の描写ではなく記憶にもとづいている。
考えるのではなく視るのであり、聴くのである。
花が、貝殻が、何度も何度もくりかえし見られることによって、特定の構図、形態が…対象の本質を最もよくあらわす形姿が・視覚印象の沈澱物として記憶のうちにとどめられるのである。
途方もない時間のかかる証の積み重ねを、目の記憶としてたっぷりと自分のなかで通過させ、蓄え、その上で、なお自分だけに何が見えてくるか。という問いからしか生まれてくることのない絵肌の作品なのである。
野田弘志は自己を強く抑制している。
一見、冷静で澄明な表現のうちにおのずからにじみ出るような陰翳の深い気配が漂っているのはそのためである。
画家の主体内部の深所からの抑制と沈静の表現をとおしてにじみでてくる心の姿とでもいえるのが野田作品の「品」であると思う。
画家にとって証人であり敵でもある肉眼。
その眼の追憶があらわす夢と現実、その骨気、生きていることは野田を見ることができることだ、さえ私は思っている。
(「眼の追憶」米倉守氏の解説を転記)
【野田弘志 のだひろし】
1936 韓国全羅南道に生まれる(本籍地は広島県)
1945 日本に帰国し広島県で過ごす
1951 静岡県に転居
1956 上京し阿佐ヶ谷美術学園洋画研究所に通う
森清治郎に絵画を学ぶ
1957 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻入学
1960 白日会に初入選 白日賞受賞
1961 プルーヴー賞受賞 白日会準会員となる
東京藝術大額美術学部絵画科画専攻(小磯良平教室)卒業
東急エージェンシー企画調査部制作課にイラストレーターとして入社
1962 白日会会員となる
東急エージェンシー退社
デザイン会社を設立しイラストレーターとして活躍
1966 「現代日本文学館 三島由紀夫」(文芸春秋)の挿絵制作
1970 画業に専念するべくイラストレーターを辞する
安井賞展、国際形象展、新鋭選抜展、明日への具象展
日本秀作美術展などに出品
銀座三越で初の個展開催後、個展を中心に作品を発表
1974 東京造形大学非常勤講師となる
1982 白日会展で内閣総理大臣賞受賞
1983 朝日新聞連載・加賀乙彦の小説「湿原」の挿絵担当
1990 ベルギーで個展開催
日本経済新聞に「写実のこころ10選」を連載
1992 安田笠井東郷青児美術館大賞受賞
1993 日本ポルトガル友好450
1994 ベルギーで展覧会開催
第12回宮本三郎記念賞受賞
1995 広島市立大学芸術学部教授に就任
2005 退任
だて噴火湾アートビレッジ芸術監督に就任
2007 大規模な回顧展開催
2018 天皇・皇后の肖像画制作 宮内庁に奉納
北海道文化賞受賞
作家名:野田弘志
題名:薔薇「眼の追憶」より
落款:本人鉛筆サイン
限定部数:30/80
技法:銅版画
画面の寸法:縦8.0×横13.0cm
額縁の外寸法:縦43.5×横43.5×厚み1.9cm
額縁の仕様:ゴールド色版画額縁・裏面に吊り金具・ひも付き
付属:合せ箱
額縁の窓:アクリル
重量:約1.4kg