1935年、日本海軍は三菱、中島両社に対して十試艦上攻撃機の名で試作を命じました。海軍の要求は、当時採用されたばかりの九六式艦上攻撃機よりも格段に高いもので、試作要求を受けた中島では、海軍機の主要機種の競争でいずれも三菱に敗れていることから、社運をかけて開発に臨みました。数々の新機軸を盛り込んだ九七式艦上攻撃機は、日本海軍機としては初の全金属製モノコック構造の低翼単葉艦上攻撃機です。画期的な油圧式引き込み主脚を採用、胴体の幅は、操縦席付近が最大で3座機としては細く絞られています。上方折りたたみ主翼の採用で全幅が短縮され、空母内の格納スペースを小さくできます。プロペラは、全金属製2段可変ピッチ3翅プロペラの採用により、離陸、上昇、巡航、高速時、それぞれの状況に応じてエンジン出力を効率よく発揮、性能は格段に向上しました。1937年11月16日、九七式1号艦上攻撃機(B5N1)として制式に採用、当初予定の「栄」エンジンではなく300hpもパワーが小さい「光」エンジンの搭載となりましたが、海軍の要求を上回る高性能でした。1938年秋「栄」エンジンの実用化に目処が立ちこれを..