大城志津子「我した島唄〜大城志津子決定盤〜」
金城恵子、長嶺ルーシーなど数多くの弟子を育成してきた
三線の伝道師、大城志津子。
【収録曲】
1.我した島唄
2.運ちゃん暮し
3.寄らてぃ島うた
4.新ディグぬ花
5.朝花
6.里が真心
7.かねる病気やくんぴらかち
8.命ぬ洗濯
9.恋忍心
10.恋し沖縄
11.新シミドゥスルヌガ
12.除夜の鐘
13.御年日ぬ唄
【収録曲】
1.我した島唄 (作詞:ビセカツ 作曲:普久原恒勇)
2.運ちゃん暮し (作詞:大城志津子 共作:金城利正 作曲:沖縄民謡)
3.寄らてぃ島うた (作詞:上原直彦 作曲:大城志津子)
4.新ディグぬ花 (作詞・作曲:川田松夫)
5.朝花 (沖縄民謡)
6.里が真心 (作詞・作曲:大城志津子)
7.かねる病気やくんぴらかち (作詞・作曲:大城志津子)
8.命ぬ洗濯 (作者不詳)
9.恋忍心 (作詞:上江洲ひろこ 補作:大城志津子 作曲:大城志津子)
10.恋し沖縄 (作詞:大城志津子 共作:藤田さえ子 作曲:大城志津子)
11.新シミドゥスルヌガ (作詞・作曲:川田松夫)
12.除夜の鐘 (作詞・作曲:前川朝昭)
13.御年日ぬ唄 (作詞:儀保盛幸 作曲:大城志津子)
<大城志津子プロフィール>
1947年八重山は石垣市の生まれ。3、4歳の頃から父親の弾く三線を意識していたという。
5歳の時に太鼓、6歳で踊りに三線を習い、「浜千鳥節」を弾く。中学校を終えると、民謡歌手を目指して1人で那覇に出る。その後はひたすら歌と三線を練習する日々を送る。
16歳で初のレコーディング。「朝花」が大ヒットする。以降レコーディングの機会が増え、テレビやラジオにも出演するようになる。
1965年には民謡研究所を設立し、本格的に弟子の育成をする。1975年には伝説となった民謡クラブ「ハンタ原」をオープン。2005年まで続ける。
以降今日に至るまで80曲以上のオリジナルを手掛け、多くの弟子を育成する。尚、三線は、六弦のもの(六線)を弾いている。