

県都長野市の食文化は、川と山がおり成す地形と風土、そして善光寺門前町の文化を背景にして、町場・平場・山手の相互交流によって形成されてきた。千曲川と犀川の合流地点の肥沃な土壌は米麦二毛作を可能とし、全国有数の粉食文化をつくり上げた。また、隣接する村々では急峻な山坂の畑を耕し、麦・大豆・雑穀を軸にした長寿の食文化をつくってきた。そこには、季節折々に、その時、そこにあるものを調理・加工し、みんなで同じものを一緒に食べるという「あたり前の暮らしや食べごと」があった。高度経済成長期を経て急速に姿を消してしまった、この「あたり前の暮らしや食べごと」を、昭和初期と昭和30年代を軸に、「未来に伝えたい昭和の食」として描き出す。
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