死してすぐに豊国大明神として祀られた豊臣秀吉。その七回忌の臨時祭礼を描いた「豊国祭礼図屏風」には、高台院(秀吉の妻)の顔貌が醜く描かれるという奇妙な特徴があった。制作の注文主は淀殿・秀頼。一方、大坂夏の陣の豊臣家滅亡後に岩佐又兵衛が描いた祭礼図では、秀頼と目されるかぶき者の「喧嘩」の場面が…。絵画史料に表れる「なぜ」から発して、秀吉没後、徳川家康の死までの慶長期の「空白」の歴史動向を描き出す。
岩佐又兵衛はその祭礼図で何を描いたか。秀吉没後の歴史の謎を解き明かす!死してすぐに豊国大明神として祀られた豊臣秀吉。その七回忌の臨時祭礼を描いた豊国祭礼図屏風には奇妙な特徴があった。秀吉没後から大坂夏の陣までの「空白」の歴史を、数種の祭礼図と文献史料から読み解く。
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