はざま―原発性肺高血圧症MEMO/吉野 いく子
姫路、甲府、東京と、多くの方々とふれ合い、そして育まれ、愛されて、暁子は35年の生涯を終えました。皆様、本当にお世話になりました。4年後の今、親として心から御礼申し上げます。
発病について、お話しするゆとりもなく、皆様に大きい「?」を残したまま、先の見えない闘病の旅を、6年間2人で続けて参りました。暁子が逝って4年経った今、少しは「?」の答えになるかと、この本を出版いたします。
2004年5月22日、未だかつて聞いたこともない病名「原発性肺高血圧症」を突然宣告されました。原因不明ゆえ治療方法も無く、ただ余命2〜3年を数えるのみという難病。1年間は親子共々真っ暗闇でもがき苦しむばかりでした。国立循環器病センターを退院した後、親元での療養生活を嫌い、暁子は甲府へ戻りました。
友人の多い甲府で、体力のある間3年ほど、気ままに1人で暮らしました。
しかし、徐々に心機能が損なわれ、通常の体温調節のバランスが崩れて、夏は冷房が「寒すぎる」、冬は暖房が「暑い」と絶えず文句を言い、締め切った場所は空気が悪いと、外の新鮮な空気を求めました。胃腸もじわじわ弱っていき、私の倍くらい食べていたのに、半分も食べられないほど食が細ってゆきました。2007年秋、一人暮らしの限界を自ら認め、姫路へ帰って参りました。2009年年末、突然の肺出血、岡山大学ICUへ救急入院、ついに力尽きて、家へ帰りたいと言いつつ旅立ちました。
本人の日記から一部を抜粋し、闘病の時系列に並べました。私自身、暁子の批判の矢面に立たされ、読み返す度心の痛みを覚えます。
添付しましたデータ・注釈は医療についての門外漢が扱ったものゆえ限りなく不正確で、誤りも多々あるかと思います。専門家のご寛恕をいただきますよう、お願いいたします。
最後になりましたが、国内の発症が年間1,000人を超えるとされる原発性肺高血圧症の患者の皆様に、暁子の症例が多少の参考となりますよう、この本を公にします。近い将来、ips細胞の研究の深化によって、この病気の原因が究明され、「余命数年」ではなく「救命」が可能となりますように。患者の皆様、どこまでも人間らしくご自身のQOLを大切に、療養生活をお過ごしください。
2014年
吉野 いく子
著者のプロフィール
有限会社クリック 代表