九戸戦始末記 北斗英雄伝 第五巻/早坂 昇龍

天正末期、北奥の領主・九戸政実は豊臣秀吉に叛旗を翻し、籠城戦を行った(九戸の戦)。

この戦いでは、九戸軍守備兵5千に対し、上方の包囲軍は6万人だったとされている。本作は、この九戸戦の始まりから、開城(終結)までを記した歴史小説である。

第5巻は、宮野(九戸)城を、蒲生氏郷、浅野長吉(政)らが包囲し、落城に至るまでを描く。九戸戦においての最大の謎は、九戸政実が開城の際に遺した言葉であるが、当巻ではこの謎解きを行っている。

著者のプロフィール
「早坂昇龍」は時代劇でのペンネームで、現代劇では「早坂ノボル」を使用している。岩手県盛岡市生まれ。

HP: http://www.goemonto.rexw.jp/
 天正十九年八月二十七日。ついに上方遠征軍が宮野城を包囲する。
 蒲生氏郷は「一日二日のうちに城を攻略出来る」と踏んでいたが、城側の根強い抵抗に遭い、戦況はこう着した。上方軍の損耗は著しく、あっと言う間に兵糧も尽きて来た。
 さらに、大半が軽装で来た上方軍は、この地の寒さに痛め付けられた。 たった数日の間に、兵たちの間から不平不満が噴出するようになってしまう。
 このため、上方軍は宮野城に使者を送るものとし、政実の幼馴染である薩天和尚を差し向けた。この薩天和尚の説得を受け、九戸政実は上方軍と和睦を結ぶこととし、城門を開く。
 天正十九年九月三日。宮野城の大手門が開き、九戸政実が姿を現した。
 政実は浅野長吉、蒲生氏郷の二人の許を訪れ、二人が予想だにしなかった和睦の条件を告げた。
 九戸戦の最大の謎はこの一点で、この時に政実が語ったとされる言葉の意味をどのように解釈するかということに尽きる。
 最も正直に政実の言葉を受け止めると、九戸政実はこれまで言われて来た通り、南部信直を廃し、引いては羽柴秀吉を倒そうと考えたのではない。
 政実はかなり早い段階でこの地の民の将来を見極め、無辜の民の命が損なわれることが無くなるような計略を立てたと見なすことが出来るのだ。
 さて、九戸政実は蒲生氏郷・浅野長吉に何と言ったのか。
 合戦のクライマックスはほんの一瞬で、政実が言い放ったこのひと言に凝縮されている。