看護と思索 / 細川順子

科学や理論の「正しさ」と臨床的な「最善」との間に生じうる背離を見据え、看護におけるケアリングの重要性を説く。看護師・教師を人生そのものとする著者(86歳)の内省にもとづく、ケアリングの「わかり方」をめぐる思索。看護教員時代に「気がかり」に思ったことが記された資料(学生の提出記録、卒業生の寄せ書き、新聞の切り抜き、etc.)の束をほどき、「手当たり次第に読んでいった」著者の心に、かつて「宿題」にしたまま意識の奥にしまい込んでいたことが蘇る。科学的な「正しさ」の追求だけでは「最善の看護」にはならない。看護教育はその「最善」を追求してきたと言えるだろうか? 科学的説明や理論に向かう以前(あるいは同時)に、人間的な「思いやり」を原点とする臨床的な営み=ケアリングがある。それを「看護の知」にしていかなければならない。看護師・教師を人生そのものとする著者(86歳)の内省と、ケアリングの「わかり方」をめぐる現在進行形の思索。看護にはまだ、語られるべきことがたくさんある。<br>細川順子
すぴか書房
2025年03月
カンゴ ト シサク
ホソカワ ジユンコ
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