ローマ史再考 なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか / 田中 創 著
「ローマが2000年も続いたのは東側に首都を作ったから」――最新研究に基づき、驚きのローマ帝国像を平易かつ生き生きと描く西欧中心のローマ史観を根底からくつがえす<br><br>「ローマ史は五賢帝時代がピークで、あとは下降線」。世界史を学んだ人が抱くこんなイメージは、18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボンが印象的に描き出したもので、日本にも広く知れ渡っている。しかしそろそろこうした「西ヨーロッパ中心主義」を解体する時期ではないか――期待の俊英が、ローマが2000年続いたのは東側に機能的な首都・コンスタンティノープルを作ったからだとし、勅令や教会史に現れる「儀礼を中心とした諸都市の連合体」としてのローマ帝国像を生き生きと描き出す。コンスタンティヌス帝やユスティニアヌス帝ら「専制君主」とされる皇帝たちは、本当は何に心を砕いていたのか? 最新研究を踏まえた驚きの古代史!<br>田中 創 著
NHK出版
2020年08月
ロ−マシ サイコウ ナゼ シユト コンスタンテイノ−プル ガ ウマレタ
タナカ ハジメ
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