ホアキン・トレンツ・リャド 朝の光 インテリア 絵画 風景画 シルクスクリーン 版画 プレゼント コレクション 新築祝い 開店祝い 新品額付き

画家名:ホアキン・トレンツ・リャド
作品名:朝の光
絵のサイズ:W66×H66cm
額装サイズ:W93×H94cm
版画の技法:シルクスクリーン
サイン:リャド直筆鉛筆サイン
納期:10日
ホワキン・トレンツ・リャドがシルクスクリーンの版画で制作した絵「朝の光」は、1993年にリリースされたシルクスクリーンの版画です。

このシルクスクリーンの版画はレギュラー・エディションが250部、ローマ数字のバージョンが70部、AP版(作家保存版)55部、PP版(刷り師保存版)5部、トータルで380部が制作されました。

本作品は250部が制作されたレギュラー・エディションのバージョンです。

ホワキン・トレンツ・リャドの生前に制作されたシルクスクリーンの版画で、リャドの直筆鉛筆サインが入っています。

「朝の光」という絵のタイトルに相応しい眩しい光を感じる爽やかな作品で、ホワキン・トレンツ・リャドの画家としてのレベルの高さを感じる絵画です。

ホワキン・トレンツ・リャドが逝去されてから30年以上が過ぎ、マーケットでも直筆サインの入ったシルクスクリーンの版画を探すのがだんだん難しくなってきました。

このシルクスクリーンの版画「朝の光」も、ほとんど見る機会がなくなりました。

ホワキン・トレンツ・リャドが亡くなった同じ年に制作されてから30年以上経過していますが、保存状態は完璧で染みや焼け、波打ち、色落ちなど一切ない完品です。

ちなみに額は新品です。

ホアキン・トレンツ・リャドがシルクスクリーンの版画で制作した絵画「朝の光」をぜひご自宅のインテリアやコレクションの絵としてご購入ください。



ホアキン・トレンツ・リャド プロフィール


1946年スペインのバダローナ(カタロニア)に生まれる。
1955年ホアキン・トレンツ・リャドが9歳の頃、バルセロナのアカデミア・バルスで絵画を描き始める。
1961〜
1966年
バルセロナのサン・ホルヘ高等学校(絵画科)で絵画を学ぶ。
1965〜
1967年
ホアキン・トレンツ・リャドは19歳にして、サン・ホルヘ高等学校の助教授に推薦される。
2年間、色彩学についての講義を行う。
1967年美術学校での勉強を終えて、デッサンの教授の資格を取る。
ホアキン・トレンツ・リャドは、学校が主催した全ての賞を受賞したことにより、アミーゴ・クージャス基金の奨学金を受けられることとなる。
夏に初めてマジョルカ島に旅行する。
1968年マジョルカ島にアトリエを構える。
1969年サン・ホルヘ高等学校の仲間とデッサンと絵画の学校を設立する。
1971年マジョルカ島で最初の油絵の絵画の展覧会を開催する。
この油絵の絵画の展覧会の後、多くの肖像画の注文が入る。
1974年マドリッドで全国的な油絵の絵画の展覧会を開催する。
スペイン、パリ、ロンドンなどから肖像画の絵画の注文を受け始める。
ホアキン・トレンツ・リャドは秋にコペンハーゲンを訪れ、ヘンリー皇太子殿下やベネディククト皇女殿下、その他デンマーク王室の著名な人々の肖像画の絵画を描く。
1975年スウェーデンに滞在する。
滞在中、クリスティーナ皇女殿下の肖像画の絵画を制作し、ストックホルムにスタジオを持つ。
1977年マジョルカ島パルマのベリ宮殿に地中海自由学校を設立する。
1982年バルセロナのディプタシオン通り329番に地中海自由学校の分校を開く。
1986年テキサスのファーストレディ、リンダ・ゲイト・ホワイトの肖像画の絵画を描き、テキサス州名誉市民に選ばれる。
1990年ホアキン・トレンツ・リャドの日本での初来日個展が開催される。
初のシルクスクリーンの版画がリリースされる。
1991年スペイン「セビリア・フィエスタ」の公式ポスター『ヒラルダの塔』を制作する。
1992年オランダ・花のオリンピック「フロリアード1992」の日本公式ポスターおよび記念版画『ゲーテの詩と共に』を制作する。
ホアキン・トレンツ・リャドの二度目の来日個展が開催される。
1993年ホアキン・トレンツ・リャドの3度目の来日個展が開催される。
マジョルカ島パルマで大動脈瘤のため急逝。享年47歳。
1994年バレアレス州政府主催により、パルマのラ・ロンハでホアキン・トレンツ・リャドの大追悼展が開催される。
生まれ故郷、バダローナの市役所はホアキン・トレンツ・リャドの功績を讃え記念の広場を捧げる。
マジョルカ島パルマ市は、ホアキン・トレンツ・リャドの画業を高く評価し、市内の一角を「J・トレンツ・リャド通り」と名付ける。