抽象画 絵画 現代アート ブラジルのピカソ シルクスクリーン 版画 マナブ間部 「燿」 額付き

●画家名:マナブ間部
●作品名:燿(よう)
●絵のサイズ:W40×H27cm
●額装サイズ:W65×H52cm
●版画の技法:シルクスクリーン
●サイン:作家直筆鉛筆サイン
●納期:14日 額に小傷がありますので新品額に交換してお届けいたします。

マナブ間部さんがシルクスクリーンの版画で制作した抽象画「燿(よう)」は、1994年マナブ間部さんが70歳の時に制作されたシルクスクリーンの版画です。

このシルクスクリーンの版画のタイトルになっている「燿」という漢字には、「かがやく」、「火が高く燃えあがってかがやく」、「ひかり」、「高くかがやく火のひかり」、「高く目だってかがやくさま」などの意味があります。

まさにこの抽象画のシルクスクリーンの版画にぴったりな意味ばかりです。

今から20年以上前に制作されたシルクスクリーンの版画ですが、保存状態は完璧でシミや浪打ち、退色などは一切ありません。

赤い部分に白い線が入っていますが、これは傷ではなく作品の一部です。

「ブラジルのピカソ」と呼ばれるに相応しい、マナブ間部の素晴らしい抽象画のシルクスクリーンの版画です。

マナブ間部 プロフィール


1924年熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市)に生まれる。
1934年10歳の時、両親と共にブラジルへ移民する。
リンス市ビリグイのコーヒー農園で働きながら育つ。
1945年コーヒー園が霜の為全滅したこともあり仕事の合間に油絵具を使って厚紙や板きれに絵画を描き始める。
1950年サンパウロ作家協会展に入選し徐々に注目を集める。
1951年ブラジルの国展に油絵の絵画が入選する。
1953年画風が変わり、静物や人物をテーマにし、その物体の形をつよい線で描く画面構成となる。
1956年この年から約7年をかけて、マナブ間部曰く、『非具象構成派』とする絵画を描き続ける。
1957年マナブ間部自らのコーヒー園を売却しサンパウロ市に移住する。
1959年4月、「レイネル賞展」においてレイネル賞を受賞する。
9月、第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で国内最高賞を受賞する。
その10日後には「第1回パリ青年ビエンナーレ展」で受賞する。
この2つの受賞がアメリカ・タイム誌に『マナブ間部黄金の年』として取り上げられ世界的な知名度を上げた。
このことがきっかけでマナブ間部の絵も売れ始めた。
1960年「第30回ヴェネツィア・ビエンナーレ」でフィアット賞を受賞する。
1961年この年から1966年にかけて、ローマ、パリ、ワシントン、ヴェネツィア、ミラノの各都市を個展巡回する。
アルゼンチン・コルドバで開催された「南米ビエンナーレ」で絵画部門1位をとる。
1979年日本で開催されたマナブ間部展を終え100点余のマナブ間部の絵画作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難し、マナブ間部の代表作の大半を失う。
マナブ間部はその後14年かけて喪失した1点1点の油絵の絵画を描き直したという。
1993年日本経済新聞にマナブ間部『私の履歴書』を連載する。
1997年東京で開催された「マナブ間部展」を最期に内臓疾患手術後の合併症のため死去する。
2008年ブラジル移民100周年を記念して、サンパウロ市に「マナブ間部日伯近代美術館」が開館予定。