ジョアン・ミロ プロフィール
1893年 | スペイン・バルセロナに生まれる。 |
両親から譲り受けた近郊のモントロイドの農場に住む。 | |
1912年 | フランシスコ・ガリ美術学校に入学する。 |
1924年 | ブルトン、アラゴン、エリュアールらの詩人たちと知り合い、シュール・レアリストの一員となり、シュールレアリスム運動に参加する。 |
1937年 | パリ万国博覧会のスペイン館のために壁画を制作する。 |
1941年 | ニューヨーク近代美術館で油絵の絵画の回顧展が開催される。 |
1954年 | ヴェネツィア・ビエンナーレで、国際版画大賞を受賞する。 |
1959年 | ニューヨーク近代美術館、ロサンゼルス美術館で油絵の絵画の回顧展が開催される。 |
ユネスコ本部の壁画に対し、グッケンハイム財団国際大賞を受賞する。 | |
1962年 | パリ市美術館で油絵の絵画の回顧展が開催される。 |
1966年 | 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館で油絵の絵画の回顧展が開催される。 |
1976年 | スペイン・バルセロナに「ジョアン・ミロ財団現代美術館研究所」を開設する。 |
1983年 | マジョルカ島のパルマで死去。 |
オートマティスムの絵画の手法により、幻想的な画風を通過し、オブジェやコラージュも手掛ける。 | |
第二次世界大戦中の連作「星座」にみられるように、「星」、「女」、「鳥」などの象形文字に似た形象を駆使して、子供のような無心さの横溢する絵画の画面をつくりだした。 | |
ジョアン・ミロの油絵の絵画やリトグラフの版画作品と生地、カタロニアの風物とが深く密に結ばれていることは、よく指摘されるところである。 | |
二度目の来日の際に、瀧口修造と詩画集を合作している。 |