ピエロ 絵画 道化師 人物画 リトグラフ 版画 ベルナール・ビュッフェ 「きむずかしいピエロ」 額付き

●画家名:ベルナール・ビュッフェ
●作品名:きむずかしいピエロ
●絵のサイズ:W47×H68cm
●額装サイズ:W73×H96cm
●版画の技法:リトグラフ
●サイン:ビュッフェ直筆鉛筆サイン
●納期:20日 額に小傷がありますので新品額に交換してお届けいたします。

ベルナール・ビュッフェがリトグラフの版画で制作したピエロの絵「きむずかしいピエロ」は、1968年に制作されたリトグラフの版画です。

このリトグラフの版画はベルナール・ビュッフェの「サーカスシリーズ」の中の一作です。

レゾネナンバーは#152で、これはベルナール・ビュッフェのリトグラフの版画として152番目に制作された作品という意味です。

限定番号が見にくいですが、120分の44です。

背景の黄色い色が、このピエロの気難しさをよりいっそう醸し出しているようです。

ベルナール・ビュッフェが描くピエロの絵は、自分自身が投影されていると言われていますが、まさにこのリトグラフの版画のモチーフはビュッフェ自身だと思います。

ベルナール・ビュッフェ プロフィール


1928年パリに生まれる。
エコール・デ・ボザール(国立芸術大学)で油絵の絵画を学び、ナルボンヌに師事する。
1947年アンデパンダン展、サロン・ドートンヌ、サロン・ド・メなどに油絵の絵画を出品して注目を集める。
1948年若干20歳にして油絵の絵画によりクリティック賞を受賞し、新しい具象画の絵画の旗手として名実とともにスターとなる。
1952年この年以降、ベルナール・ビュッフェは毎年2月にテーマを決めた新作の油絵の絵画の個展を開催して、パリ画壇の不動の地位を確立する。
1973年沼津市郊外に世界初のベルナール・ビュッフェ美術館が開設される。
1978年油絵の絵画による『フランス革命展』を制作する。(モーリスガルニエ画廊、パリ)
1980年岡野喜一郎氏の招きで来日する。
ベルナール・ビュッフェ美術館を訪れる。
1981年妻であるアナベルの文章とベルナール・ビュッフェの文字による『日本旅行』の挿絵のために24点のリトグラフの版画を制作する。
1986年油絵の絵画による「オランダ」展を開催する。(モーリスガルニエ画廊、パリ)
リトグラフの版画集『ヴェニスの眺望』を制作する。(モーリスガルニエ社)
1987年9月に名古屋市愛知県美術館にて油絵の絵画の代表作、約80点を集めベルナール・ビュッフェの展覧会が開催される。
1988年2月に油絵の絵画による「相撲と歌舞伎」展、10月に近作展を開催する。(いずれもモーリスガルニエ画廊、パリ)
1991年2月に油絵の絵画による「ニューヨークの眺望」展、10月に「ブルターニュ」展を開催する。
東京、大阪、ソウルで油絵の絵画やリトグラフの版画を集めたベルナール・ビュッフェの展覧会が開催される。
1994年2月に油絵の絵画による「オデュッセイア」展、10月に近作展を開催する。
1995年油絵の絵画による「七つの大罪」展を開催する。(モーリスガルニエ画廊、パリ)
1999年10月5日死去。享年71歳。
ベルナール・ビュッフェの油絵の絵画の作風は力強い描線と鋭いフォルム、遠近法を強調したコンポジションに乾いた詩情、沈黙と虚無感が漂う。
白と黒の冷たい色調から現代の孤独を描く「悲惨派」の旗手とされた。
油絵の絵画の色調やテーマは様々に変化したが、常に独特の画風を展開し続けている。
油絵の絵画はパリ国立美術館をはじめ、世界各地の美術館に収蔵されている。
ベルナール・ビュッフェは親日派としても知られ、各地の神社仏閣を回って親交を深め、相撲観戦も楽しむなど、日本文化を積極的に取り入れた。
フランス学士院芸術アカデミー会員。